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zoom RSS 小説「坂の上の雲」の教えてくれるもの一

<<   作成日時 : 2006/08/08 15:44   >>

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この小説を初めて読んでから三十年程の歳月が経つ。 
小生も若かったせいもあるが、日露戦争の記述が生々しく、五度程読み返したように思う。
当時の面白さは、戦闘描写が生々しく、非勢を勝ちに結び付ける戦術や心理描写に目が奪われていたように思う。
一昨年、縁あって(松山市に住んでいて、市長が『「坂の上の雲」の街づくり』政策を市政の中心に据えた)読む機会を得た。
三十年経って、出て来た現実は、小説の主人公及び書いた時の著作者の年齢を飛び越えていた事であった。
嘗ては、主要登場人物の殆どが年上であった。無論、司馬遼太郎も五十歳よりも手前ではあるが、二十歳代の小生にとっては大先輩が年上の人の事を描写していたという理由で、面白さしか感じなかった。
五十代半ばになって、著作した四十代の司馬さんの目が意識しえたのが大きい。又、三十代で小説を終える秋山真之や正岡子規は言うに及ばず、四十代であった秋山好古の満州平野における姿が懐かしく思える(銃弾が頭上を飛び交っているのに塀の上でブランデーを舐めている等)場面が数多くある。
全部紹介していると、何がテーマか分からなくなるので割愛する。
真之や子規の方が有名なのであるが、小生は好古が主人公と主張したい。
著者の著作年齢も重なるので、小生には生々しく好古が迫ってくると感じる。
五十代半ばで一番感銘を受けたのは、個性の強い群像を押しのけて、彼らの居た明治という時代とそれを造った江戸の空気である。
そこに、主題である「何を教えるか」に繋がるコンテンツが溢れていると考える。
「人としての理想像」で好古の素晴らしさを書いた。
あの状態が仰天すべき事と受け止めるのは小生だけではなかろう。
あの姿が実現できていれば、畠山鈴香も出て来ないし、村本卓也というような大馬鹿野郎も、不祥事続きの行政職員も居ないであろう。
ただ、小説「坂の上の雲」でも李章項に反目する清王朝の官僚群やクロパトキン等、色々登場している。
小説で出てくる日本人は素晴らしさしか出てこない。例外もある。
舞台裏で、アメリカ大統領セオドア・ルーズベルトの仲裁を得さ占めた素晴らしい日本人群の存在も再認識させられる。何せ、人も物も金も尽きてしまっていた日本に肩入れして貰った訳ですから。我々の住んでいる現代社会において、地位も金も信用も無い人が他人様から何をして貰えるのだろうか。99.9%は誰も見向きもしないのが世間というものです。
ただ、0.1%は人として認識した時だけ力を貸す人が居るという現実もあります。あのポーツマス条約は、分かるアメリカ人が日本人を尊敬できる民族と認識したから有得た歴史的事実と確認しなければならない。
次回から小説の中身を検証していこう。

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