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zoom RSS 社会科教育を切口にした「何を教えるか」について

<<   作成日時 : 2006/10/28 12:32   >>

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学習指導要領は全く酷いものです。
最近のニュースのトッブを飾っている全国の高等学校での必須科目指定という所に教育改革のメスが入らねばならない私の持論が現証されたものと意を強くします。
そもそも社会科という科目は何の為にあるのかという議論が全く為されていません。必須科目として選ばれねばならないのは、日本史と地理です。その中で世界史を教えていかねば分り様が無いのが我々人間の認識です。
それ以前に、何の為に社会科という学問があるのかというのは、我々が社会的存在という現状を認識させ、自身の生活に反映させえなければ何の意味も持ちません。どういう教え方をすれば、それが身に着くのかという反対のやり方を学習指導要領で強制しています。殆どの社会人は、学校の期末及び中間テストが終わると大方忘れ、十年経つと殆ど忘れてしまっています。覚えていれば、人生の岐路に立った時、良い選択が出来るかもしれないのにと言う事です。
何が一番いけないのかというと、一つひとつ切り離してテクニックとして教えるというやり方が駄目なのです。それも受験という試験に通る為の暗記を強要する教え方です。僅か七十時間で何が覚えれるかという単純な事さえ文部科学省の官僚は考えようともしません。金科玉条の如く、旧来からの手法に只只固執しています。詰りは、居るだけで何の仕事もして居ない人が多いと言う事です。社会保険庁と変わったものではありません。
五十七歳になった今、政治・経済・暮しは地理と結び付られ、過去のその時々のそれは歴史として認識される事に驚愕しております。
例えば、東大寺の正倉院一つに焦点を当ててみましょう。その正倉院文書というのは、八世紀の文書として残されたものの99%にあたりますが、その中には当時の国勢調査に当る書き物も含まれ、各地域及び階層社会における人々の有様が思い浮かびます。又、宝物殿に目をやれば遠く中近東やギリシャで造られたものがシルクロードを通って日本に渡ってきた事を思い知ります。
日本程恵まれた国は無いと私は思っております。
日本以外の場所は、多かれ少なかれ数十回の侵略を受け、又その侵略の主体ともなっています。詰り、地理と歴史を縦軸と横軸にして見た場合、殆どの地域で数十度の支配民族が入れ替わっています。朝鮮半島は、歴史認識とよく叫びますが、蒙古に占領された以外は中国で覇権を獲った国の属国としてこの二千年を過ごして居ます。
中国にしても、今の領土に近くなったのは清朝になってからで、それ以前は今から見れば随分規模の小さい国だった訳です。詰り、中韓にとっては主権を持った歴史が僅か七十年弱しかないのですから、日本に歴史認識と言われても困る訳です。
これを生活に密着するように教えるには、小・中・高の12年位は必要でしょう。今のような、直忘れてしまう教え方であれば、時間の無駄と知らねばなりません。
そこらの全科目をどういうやり方でどういう教育を受けた教師が教えるかを明らかにする為に「何を教えるか」を書き始めました。国会で教育改革の審議も良いのですが、国家百年の計として、ここらをよく議論して頂きたいものです。

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
本来、高校は国民的教養を身につけるための学校と位置づけられていました。しかし、学歴尊重の世相の中で、進学校では父母も生徒も少しでもいい大学へ入るために大学入試のための勉強を望み、学校と教師も自分の学校の評判をよくするために、入試のための授業を推進しました。その結果が入試に必要のない教科は省くということになりました。高校でしっかり教養を身につけた者が大学に入れるようにしなければ、この問題は解決しません。
首藤
URL
2006/10/28 19:56
追記
学歴偏重をなくする、大学入試のやり方を変え、高校での成績を入学選考の材料にするなどの改革が必要だと思います。なお、正倉院は東大寺です。
首藤
URL
2006/10/29 05:50
「教育とは」と大上段に構えて議論するつもりは無いですが、要は、生きていく為の「すべ」を教え育む事だと思う、命を(DNAを)次世代に引き継ぐ為の「すべ」を。

自己・権利を明確に主張しないと生きていけない、広大な国土・多様な人種etc文化も歴史も価値観も異なるアメリカに敗れれた事に起因する、
狭小な国土・一民族長い歴史に育まれた文化価値観が敗れ、「以心伝」、「和」、腹芸、etcが追いやられ、自己&権利の主張、個人主義を押しつけられて・・・民主主義の名のもと左傾思想が持ち込まれた、教育者が、労働者に成り下がり、為にする反戦平和の大合唱、警察が学校に入れるようになったのは最近のこと。悪いことは続くもの、これらが妙な具合にドッキングして「自己中」「馴れ合い」「無責任」奇妙な「恥」意識、
命を次世代につなぐと言う使命、「人間教育」を忘れ 平然とルール無視をする・・。

ここは一番「基本法改定」「意識改革」「責任の追及」「教員教育」etcの「実行」以外にはないと思いますがいかがなものでしょうか・・・・。
 
0h-tinq
2006/10/29 22:59
ここで、言いたかった事は何れ「何を教えるか」本文で明らかになりますが、総合教育の必要性を説いております。科目毎のバラバラなテクニック教育こそが人間の弊害ばかり増やしているのであって、バラバラな知識のみ押付けられる結果、忘れないと自身を保てない人間を増殖しているという知識偏重の明治以来の文部省教育があると言う事です。
結果として、時代に対応できない四十歳以上の肩叩き族・フリーター・ニート果てはホームレス迄、出現しているのです。
政治家も小泉さんにして、自身の自主性が見られるものの、国会議員と雖も官僚にレクチャー受けてやっと自分の意見を持つという錯覚を持っているかに見えます。これもそれも効用の無い教育のあり方に問題があるのであって、現在の浅い改革意識をもっと深く議論を進ませねばならないと考えます。
「何を教えるか」の結論部分を楽しみにお待ち下さい。
Hbar
2006/10/30 06:11

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