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zoom RSS 日本人の気質を求めるその二(カルチャーの始まり:倭)

<<   作成日時 : 2006/11/04 14:19   >>

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倭というのは、日本だけを指しているものでは無いらしい。
日本生活史学会会長の文化人類学・古代史が専門の鳥越憲三郎氏が二年前に「中国正史 倭人・倭国伝全釈」で「倭族」という概念を紹介しています。
丁度90歳になる氏の詳細な調査に裏付けられた論説は中国南部や東南アジア、それから朝鮮南部および日本に共通して残る習俗を括り、同一民族からの拡散に頷くものがある。その氏によって、雲南省やそこに隣接する東南アジア北部の山岳地帯に棲むタイ系諸族(アカ・ハニ族など)に我々日本人にお馴染みのお社の「鳥居」が見出されている事が我々を得心させる。
氏の論説は、これまでの中国の正史に見える倭人・倭国が、日本人・日本国に対しての呼称であるとしてきたそれまでの本流的議論を真っ向から否定したものだ。氏の論説を続ける。
「倭人」という語の起こりは、黄河流域を原住地として政治的・軍事的に覇権を掌握した民族が、とりわけ秦・漢の時代以降、彼らの迫害によって四散亡命した長江流域の原住民に対して、蔑んでつけた卑称と喝破している。
氏の調査の足取は東南アジアに広く分布する少数民族の取材から始まり、古くはカンボジアのクメール人・タイ人・ミャンマー人も本を正せば、中国雲南から南下した事から雲南省の3〜40年ほど前まで「首狩」をしていたとされるワ族の村々迄及んでいる。
そこで知りえた事は、ワ族の生活習慣が弥生人の原型という事である。
アカ族の村では、村の出入り口に鳥居に似た門を見付け、〆縄が村に侵入する悪人を縛る為の脅しという意味に留まらず、「鳥居」という名称の起こりについても確認できたようだ。
「首狩」というのは稲作儀礼としての神聖な行事であり、珍しく母系社会を維持する海東村では女性は赤ん坊まで貫頭衣を纏い、白族の村々では我国古代の下駄と同じく花緒の穴が内側に寄るものと同種のものを履き、市場では我国の物とどこが違うのか迷う程のワラジを売っていたそうである。
「日本書紀」允恭朝に記述のある熱湯に手を入れて物を探る「探湯」をワ族とリス族で実演を見たようだ。
遠くはインドネシアの小島群から近くは朝鮮半島中南部と我国に起源を前後して、倭族が四散してその結果として、我が弥生文化が花開いたものと考えられる。鉄器を持つ弥生人達は、先住民である縄文人を東に追いやったり混血したりしながら我が日本民族の礎を築いたものと思われる。
倭という言葉は我国のカルチャーを語る時、避けて通れない関門である。
その縄文人たちを東へ追いやった軌跡こそ、我が民族が他の民族に無い宝物を手に入れる始まりでもあった。次回からその軌跡を求めて行きたい。

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