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<<   作成日時 : 2006/11/19 09:37   >>

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1、我が存在の不確かさ
自殺者が三万人を超えてから、もう何年になるでしょうか。この所、元気溢れるはずの子供による自殺の急増は教育の失敗を物語っています。自殺しないまでも、自分はこの世に必要だろうかという疑問を持ち、否定的な結論を持つ人が殆どと受け止めます。
2、教育の失敗
日本人は明治以来、西洋先進国に追いつけ追い越せと頑張って参りました。それは、現在世界第二位の経済大国となった今、教育は成功したと思っている人が多いのが事実です。教育現場をよく見てみましょう。その中では競争社会を勝ち抜く為に、知識を覚え、覚えた数を競うという実態があります。そこには、人間の尊厳はどうでも良くって、点数のみが独り歩きしているように見ているのは私だけでしょうか。ここに、人間の値打ちを点数で決めている生活を長年続けた人々は、自身の存在はどうでも良いように感じてしまっている状態を醸し出しています。自殺の多発を防ぐ為には、ここの議論を避けて通れません。
江戸時代は全国で四万軒あった寺子屋での基本理念は仏教であり、昌平黌を頂点とした藩校での基本理念は儒教でした。両者共に心学とよばれ、人格形成を為すのに大きく係っていました。明治教育が成功したように見えたのは、江戸時代の心学による教えが下地となっていたのです。それを、心学がどうでも良いように思ったのは文部科学省の失政と言うべきでしょう。
科学の進歩は日進月歩であって、これ迄のように均一に教育していたのでは役に立つ教育目的が果たせなくなっています。これが、ニート・フリーターの発生原因の最大を占めています。
3、教育の再建
虐めでも触れましたが、教育を抜本的に見直さなければ、自身の存在自体否定してしまう状況です。堂々と生きる日本人を造り直す為に教育の働きを本来のものに直せば良いのです。先ず第一に、心の本体を楽しみにする事から始めねばなりません。縁に触れて心が楽しいと感じれば、自殺等思いもよらない事になるでしょう。楽しくないから少子化も進みます。そして、楽しくなれば縁に沿って学ぶようになります。比較テストをする必要が無くなり、能力テストのみになるでしょう。何故なら、均一教育は不要になり、楽しめる人格教育は必須です。
もう一つ、考えねばならないのは人間の大脳の神経細胞が一番活発なのは生後十ヶ月という事です。言葉を覚える頃です。この頃を重視する為には、妊娠が確認された時から義務教育を始めれば良いと考えます。そうすれば、児童虐待も起きないでしょうし。兎に角、教育基本法改正案に愛国心を入れる入れないはどうでも良いのです。就学年齢も含めて、抜本的に教育改革をしなければなりません。
義務教育の範囲は、縁を楽しめる人格形成と将来設計で良いのです。後は各々が、e-ラーニング環境を整えれば自発的に必要な知識を吸収するでしょう。何も人に点数つける事はありません。こういう教育改革をすれば、自殺を考える人も無くなります。
この教育改革は必ず仕事のあり方を変えるものでなくてはなりません。インターネット利用が深まった今日、人が夫々の関り合いをどうしていくか、また関り合いの中でどう価値創造を行っていくかという論点抜きではこの改革は語れません。次の文明を見据えて、人間がどう生きていくかを確りと見定めねばならないと考えております。そういう意味で、この「賢く、健康に、美しく」はどう提案していくか大きな使命を持つかと思い、身の引締る思いを強く持つものです。これから是非、色々良い知恵があればお借りしたいものです。時代の悲鳴による文明の転舵をお手伝いできればと願っております。

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コメント(11件)

内 容 ニックネーム/日時
虐めによる自殺は、子どもだけではありません。弱肉強食の社会が、大人の社会に虐めを助長し、自殺者が3万人を超える年が続いています。国が、弱者をある程度保護する政策を緊急にとる必要があります。子どもたちは社会の鏡のようなもので、大人の社会の虐めがなくなれば、子どもの社会も虐めがなくなります。
首藤
URL
2006/11/19 16:40
初めてコメントさせていただきます。
私も教育には関心を持ち続けてきました。
戦後社会の乱れは昭和三十年代初めからの性の乱れに原因があると考えています。あのころの小説や映画から始まって・・・・・。
 いまさら言っても始まらないことかもしれませんが、反省は必要であると思います。
 現代では教育委員会のあり方に大きな問題があると感じています。
 教育現場には、校長先生たちが部下?の先生方の実績や子供のことを考えるよりも、先ず教育委員会のご意向を気にしている、らしいですね。本当なのでしょうか。
 教育とは「愛情による成長支援」に尽きると思います。
 そのためには、「母の愛」を教育現場に注ぎ込むことであると思います。
 子供さん方の頭脳の発達状況を念頭に置くべきだと思います。
 
 又コメントさせてください。
zazen256
URL
2006/11/20 05:48
やはり、教えるべき事をきちんと折り畳んで教えていないという現実が自殺を生んでいるのでしょう。生きる力を与えるのが教育です。受験戦争に勝っても、生きる力にはならないんですね。読解力・論理性・自己認識だけを叩き込み、後は必要に応じて学習すればよいのです。その為には、学習に興味を持たせる志望をつける手助けも必要でしょう。
Hbar
2006/11/20 07:00
まず、これまでにもよく書かれていますが、「縁」についてわかりやすく具体的に説明してください。
「自分が何のために生きているのか?どうして生きなければならないか」という疑問は、いじめのあるなしに関わらず、たいていの人が通り過ぎる疑問であり、人生を考える原点になります。
ですから、この疑問を持たせなくするのでなく、良い答えを見つけさせるように助けてやる必要があります。
 戦前はその内容、一律化はともかくとして、修身などの教科があり、その問題に関わってきました。
しかし、その内容に対する反発から、思想信教の時湯が叫ばれ、人生を考える時間そのものまで、無くしてしまったのです。
 親自体も、自分の仕事や趣味にかまけて、子供達と人生を語る時間を無視してきました。
 子供、若者は自分の人生について考える術を持ちません。
ここらに自殺の原因の一つがあるのでしょう、



六十路独り言
2006/11/20 15:53
自殺、他人への加害、殺戮を防ぐために教えなくてはならないことは 、「生命の大切さ」を教えることです。何故大切かを理解させなくてはなりません。
一人の人間は、二つの命の鎖に繋がれています。
一つは先祖代々受け継がれてきた命、次代に受け渡さなくてはならない縦の命の鎖です。
 もう一つは、遺伝子を形作る核酸によって繋がれた、地球上のすべての生物と繋がっている横の鎖です。
自他の命を大切にする根拠として、この2点をしっかり理解させることが大切です。

「命が体内に宿った時から、義務教育をする」これは反対です。個性を持たない、一律化された人間ばかりになる恐れがあります。
六十路独り言
2006/11/20 15:57
色々コメント頂いて有難う御座います。
弱肉強食は世の習いですから、致し方無いと考えます。如何に逆境にあろうとも、己を失わず自身の価値を辛抱強く高めてこの競争社会を明るく前向きに生きていける人間力を培わねばなりません。教育がその始まりを教えねばなりません。
これには「母の愛」という安心感が大前提であり、真の実存哲学教育が必要でしょう。又、論理性や自己表現力を高める事も重要です。
Hbar
2006/11/21 07:06
縁という言葉は、只関り合いがあるものとご理解下さい。難しいものではありません。サークルの仲間であるおババさんにしても、単に私が縁あって呼込ませて頂いて、それがご縁でおババさんの触腺に触れたテーマにコメントして頂けると訳です。難しく考えなくって、それだけのシンプルな感じ方として表現しております。
「何の為に生きる」とか「命の大切さ」ではないんですね。そういう事を教え込んでも頭でっかちになるだけと受止めております。基本は「心の本体は楽しみにあり」でしかありません。楽しい人がノイローゼには為りません。ましてや自殺をや。自身の置かれた環境で、楽しむ力があるや無しやという能力が肝要です。それを否定する学習指導要領だから、ここまで追込まれたと受止めております。
大いに声を挙げましょう。
教育基本法改正でなく、真の教育改革をと。
Hbar
2006/11/21 07:07
楽しみを持つことは確かに大切です。
しかし自分の命の意義をしっかり掴んでいればこそ、真の楽しみを見つけることも出来るでしょう。その時、楽しみは生きる力にもなります。
根元的なものを掴まない人の楽しみは、えてして苦しみからの単なる逃避になりかねません。
楽しみが無くなれば、自分を支えることが難しくなります。
命の大切さを知ること、自分の存在意義を自覚することは、決して、知識ではありません。頭でっかちになることでもありません。
これは、一人の人間の人生観、価値観の基本です。
教育の目的は、楽しみ方を教えることではなく、一人一人に人生観、価値観をを養わせることでもあります。
六十路独り言
2006/11/21 16:58
生きることの素晴らしさを教えない
今の、教育で、例えば、障害者と一緒の教室で学ぶことはないですよね。
ある障害を負って、その障害に負けないで、明るく前向きに生きている人がたくさんいるのに、そういう事実を教えないで、また、身近に感じさせないで、単純に、偏差値で人の価値を推し量る教育。
そして、偏差値の高い人が一流と言われる企業人、官僚になっていくこの現実
そもそも、教育は人が生きていくための術を教えることが教育の原点ではなかったのではないでしょうか?
世の中の原理原則から考えれば、意外に単純なことが、屁理屈により複雑化されているのが、今の、教育の実態ではないかと思います。
だから、子供達の方を見ないで、上ばかり見ている教師が多くなるという実態が現れるのです。
空を飛べないdanbo
2006/11/22 00:00
観念論では駄目です。命の意義を説いても、解る人は居ませんと断言致します。命の意義と万回叫んでも、手塚治虫の命を題材にした漫画の説得力には敵わないでしょう。「何を教えるか」には命の意義は入っていません。この問題は、自身の遺伝子による連鎖の営みとその与える感動、それを見続ける年月のみが理解に益します。
人生経験の無い子供達に経験でのみ解る観念を理解せよといっても数学の公理よりも理解が困難です。幾ら命とか平和言った所で、身近に飲酒運転殺人や拉致があります。数学の公理には例外がありません。こうやって、論で述べるのも観念論以上にはならないという現実をよく考えましょう。そして、如何に有効な手立て、詰りは解る事で教えるかが問われるのです。danboさんの仰る障害者は良い切口ですね。
障害者には、平凡などこにでも居る我々と同じ空気を吸っている人が限界に挑戦する姿を見せて頂けますから説得力ありますね。
Hbar
2006/11/22 05:40
障害者と一緒に学ぶ学校生活に賛成します。中学1、2年生の時に先天的に両足が成長しない歩行出来ない人と机を並べた経験があります。お母さんが最初はおんぶして通学していましたがクラス会で皆が交代して朝夕の送迎をしようと決め一年半位二人一組で毎日登下校しました。障害者と言う感じでなく仲間意識が強かった気がします。優しさと言うより仲間として当然だと…。彼が転校して県の教育委員会推薦でクラスに知事からの表彰状が届き初めて自分達の行為が世間では稀な事だったと分かりました。私の祖母も全盲でいつも杖代わりに一緒に外出していましたので障害者に対しての対応は人としてお互いに弱い点を補い合って生きる事を経験し身に付けていました。助け合って生きる事、障害者と机を並べて学ぶと健常者が虐め合う事は少なくなるのではないかと思います。
チャーリー
2006/11/23 10:18

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