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zoom RSS 日本人の気質を求めるその七(カルチャー:鎌倉仏教の誕生)

<<   作成日時 : 2006/12/18 11:14   >>

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十一世紀に入って武装した武士が市民権を持つに至ると治安が良くなり、生産性は飛躍的に向上した。
それによって、自我の目覚めが貴族及び武士から庶民に広がる事になった。同時に文化の中心であった貴族の没落により仏教の末法思想に根ざした厭世気分が蔓延した。

又、それまでのスポンサーであった貴族の没落で次のスポンサー探しの為に新しい仏教運動が起こった。
その背景には、それまで独り善がりと抑鬱の中でしか生きてこなかった人々に生きる意欲を伴ったエネルギーと兼好法師や鴨長明にみられるように没落貴族の厭世があったことを忘れてはならない。

世紀を超えた現在もそういう厭世ムードが強く新しい何ものかを待望している感も強く感じるのは筆者のみではなかろう。

最初の一歩は叡山から加茂川河原へ僧が下りてきて説法しだした事に始まる。
空也上人の踊念仏がその代表である。
又、平氏による南都焼き討ちによって焼失した東大寺再建へのエネルギーも無視ではない。

新宿にフーテンの集団ができ、フォークソングブームが起きた事を思い起こして欲しい。その頂点を極めたのがビートルズであって日本では矢沢永吉である。あのころから破竹の高度成長が始まったのだ。

この時代においてのトップバッターは法然上人であろう。彼は仏教全体を自力の聖道門と他力の浄土門にわけ、末法において為すべきは浄土門であるとした。

阿弥陀仏が頼られれば救うという願を掛けた事に救いを求め「南無阿弥陀仏」と唱えるだけが救いの道であるとした浄土宗を開いた。
これを皮切りにして、栄西が臨済宗を親鸞が浄土真宗を道元が曹洞宗を日蓮が日蓮宗を開き夫々教団を形成した。

ここに現代仏教の原型が整い、日本文化におけるアイデンティティの基礎が象られたと言っても過言ではない。それとこの五祖が何れも比叡山出身であるという事実は注目に値する。

大正時代から先ほどの矢沢永吉の時代まで青年を虜にして離さなかった実存哲学は日本においてはこの鎌倉時代に考証がすんでいたのだ。
現代社会も同様であるが、自我の形勢ほどやっかいなものはない。

鎌倉時代においては生産性の向上により、それまで命をつなぐ為に食べるだけに終始していた一般庶民に自我の芽生えが象徴的だ。
その需要を受けて信仰の本質を突詰めるべく仏教新宗派が形成された。そのうねりは民衆に自我を目覚めさせ、彼等を取り巻く大きな壁を認識させ、踊念仏集団を発生させるに至る。
それは江戸時代の行き詰まった時に顕れる「お陰参り」「ええじゃないか」へと引継がれる始まりでもあった。

生産力が向上したと言ってもそれは現代社会からは想像もできない貧困な社会でもあった。

卒塔婆小町というのは想像できるだろうか。全国的に疫病と飢饉の1259年京都に死人を喰らう14、5歳の小尼のことである。
当時は、今日の灌漑施設も未だ無く、大雨と日照りだけで凶作になっていた。

この時代から少しずつではあるがインフラ整備が地方に及んでくる事になる。時代の進展は次の下克上へと移る。

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