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zoom RSS 日本人の気質を求めるその八(カルチャー:下克上)

<<   作成日時 : 2007/02/12 16:39   >>

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一旦火の点いた自我の炎は燃え盛っていく。

建武の中興で後醍醐天皇が天皇親政を目指すも旧体制の敗北に終わったのは自明の理という他無い。

土着土豪である地頭が領地支配した体制は旧体制の荘園支配に楔をうちこみ、白蟻の如く虫食いにしてしまった。
必然的に経済基盤の無くなった旧摂関勢力は教養を売り物とする集団に成り下がった。

成長した地頭は守護大名へと成長していく。

宋銭の流入も無視できない。
足利政権の勘合貿易によって大陸で政権交代によって反故と化した宋銭が大挙して上陸した。
無論、日本にも鋳造銅銭はあったが鋳造量が少なく、市においては物々交換が主体である。
そこへ交換貨幣として大量に宋銭が持込まれた訳だ。
それまで物を持込まないと手に入らなかった生活必需品も宋銭で手に入るようになり、所謂商業活動が始まった。当然、その頃から金貸しも跋扈しだす。
歴史教科書に徳政令という言葉が賑うのもこの頃からであった。

平安時代に班田給付を受けていた良民が借銭の為、賤民への没落が荘園制の綻びを誘ったのと同様だろう。

同様に宋銭による貨幣経済の増殖が加速度をつけた為、守護大名の弱体化に歯止めが掛らなく成っていった。

戦国時代に生き残った守護大名は領国経営に力を入れ、惣村の経済的自立を可能にしたものだけが勝ち残っている。
氾濫を防ぐ為に河川の改修をやり、領国内の道路整備に手を付け、楽市楽座による収入確保に成功したものだ。

他は新興の下克上の波に乗った戦国大名に淘汰される。

鎌倉時代には踊念仏ですんでいたものが、一揆へと進んでいく。
土一揆と国一揆である。
守護大名の戦国大名への変身と新興大名の台頭、それに第三の勢力としての一揆の三者が拡大する市場経済に呑込まれながら全てを焼き尽くし、戦国時代へ雪崩込んでいった。

もう一つの潮流は足利幕府政権による東山文化の爛熟である。
勘合貿易によって唐物が輸入され、書院造という現在の日本建築の基礎が築かれたのもこの時代である。

猿楽から発展した観阿弥・世阿弥を頂点とする能楽の隆盛の裏には五山文化で成熟期を迎えた禅宗の隆盛が力を添えたのは紛れも無い事実である。
ここでは鎌倉時代に生まれた実存哲学が二百年の成熟を経て武士道の要とも言うべき思想形成が行われたのだ。

このバックグラウンドを受けて、織田信長が登場してくる。
合理主義の塊とも言うべき英雄の登場は、戦後の高度成長を支えた日本人気質を彷彿とさせる。

戦後復興は米国の真似では無いのだ。平安末期から始まった日本人の自我の目覚めから戦国期の四百年かけて実現した成熟によって実現したものに他ならない。

この時代に実現した自由な心と楽市楽座に代表される市場経済は五百年経った現在でも未だ新鮮さを失っていないと同時にその精神はその間の日本を翻弄した時代の流れを徳川幕藩体制へバトンタッチを実現した原動力となったのだ。

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