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zoom RSS 日本人の気質を求めるその十一(カルチャー:近代日本を象った朱子学)

<<   作成日時 : 2007/03/29 14:57   >>

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仏教と共に忘れてはならないのが朱子学の存在であろう。

朱子学もその源流を辿れば、仏教と同じく二千数百年前の中国春秋戦国時代に遡る。

孔子に始まる帝王学としての儒教は紀元前から統一国家の国教としての地歩を築き、隋王朝からは科挙の制度も始まり不動の地位を占めた。

その後、唐代においては科挙こそ儒教に拠っていたが、中央アジアから入ってきた仏教に政権運営哲理の座を奪われ、中国における仏教の興隆が始まった。

宋代に入って、儒教に周子が「太極図説」を著しルネッサンスが起きた。
その潮流は朱子学へと引継がれていく。

朱子は経書を分類し直して四書五経に順序だて、人間の持って生まれた本性がすなわち理であるとし、知行合一を説く。それらの実現に静座による修養を推奨する宗教にまで高めた。

結果として、明代以降の東洋における政権基盤哲学となっている。

日本も例外でなく、徳川幕府において学問所を開設したのは藤原惺窩の弟子林羅山であった。
学問所が開設されて以降、朱子学の天命思想をより所に政権運営が為された。
敗戦後の日本でも天命思想のみは生き続けている。

朱子学は理想の帝王学を説いた儒教を背骨として持っている。

そこへ長い年月をかけて、道教と仏教の影響を受け、太極という人間哲学へ朱熹により脱皮した。

現代でも志を持つと言う響きに琴線が共鳴するのは朱子学の強い影響と言わざるを得ない。

江戸時代の支配者である武士の精神的支柱を創る大元が昌平坂学問所であった。
現在の赤門である。

各藩には夫々藩政改革を遂行する人材育成の為に設立した藩校がある。

我が伊予松山藩には「小説『坂の上の雲』が教えてくれるもの」で紹介した明経館があった。

藩校では「文武兼備」をかかげ、7〜8歳で入学してまず文を習い、のち武芸をまなび、14〜15歳から20歳くらいで卒業したようだ。

教育内容は四書五経の素読と習字を中心とし、全てに『敬』する生活習慣が身に付いた。

朱子学の根本思想である心の本体である仁の自己具現を促し、『仁』の別の姿である『義』・『礼』・『智』のあるべき姿に導く。

結果的に人や世間に対して信を持てる理想社会に繋げた。

清や李氏朝鮮のように科挙がなかったので、朱子学精神は下級武士に至るまで根を下した。
これが幕藩体制を維持し、明治になって武士道として世界に紹介される元となっている。

その教育が「あのな、お父さん、赤ン坊をお寺へやってはいやぞな。おっつけウチが勉強してな、お豆腐ほどお金をこしらえてあげるぞな」という人間愛溢れる言葉を吐かせたのに違いあるまい。
明治には好古のような青年が数多く輩出し、明治維新の原動力となり国家を造っていく。

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