よく考えよう

アクセスカウンタ

zoom RSS 佐藤一斎

<<   作成日時 : 2007/08/08 16:26   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

江戸時代というのは士農工商を維持する為に「見ざる言わざる聞かざる」政策を庶民に対して採用していたので庶民教育に重点を置いていなかったはずだ。

識字率が高いのは間違いでは無いのかと疑問が湧くのが当然なのだがやはり高い。

始の百年は幕藩体制が確立して元禄の絶頂期と順調だった。

享保の飢饉から始まる主に天候異変による幕藩体制の揺らぎに対する諸改革の決め手庶民に対する教育政策の転換だったようだ。

その証拠に天明の飢饉以降の寺子屋増加率に際立ったものがある。

江戸時代の飢饉は大変なもので、現在では想像も出来ない一割作というのもあったようだ。

一割作というのは豊作を十割として、その一割しか収量が無いという事だ。

年貢が入る所か餓死者がどんどん出るという訳だ。

そういう年があると幕藩体制は疲弊するのは当然で、それを回避するのに庶民に対して読み書き算盤を教え、凶作に対して対応力をつけさせる必要があった。

現在の日本でも景気対策は教育でという方策は有効と考える。

詰り、IT化を全国民挙げて実行すれば例えようも無いほどの生産性の向上が見込める。

明治維新における洋化政策と同様にすれば良いのだ。

明治維新の時は偶々江戸末期に識字率が異常に高く、世界的に見ても民力が最高潮であったと考えれば良い。

そういう状況を江戸末期の歴史に倣い、実現する政策を採れば良いと考える。

1つはIT用語を漢字和訳する。
それと漢字教育を徹底する。
この二点で良い。

一般人にIT用語を理解させるのにこれ以上の効率性は他の方法はないだろう。

歴史に倣う為に幕末の空気を読もう。

小生は幕末の空気を佐藤一斎(1772〜1859)の「言志四録」に見る。

著者の紹介をしよう。
生後2歳の時に杉田玄白が解体新書を著し、4歳の時に平賀源内がエレキテルを作るという時代に幼少時をすごし、12歳で神童と呼ばれ色々学識を深め、22歳から昌平黌で教鞭をとる。
18歳の時に老中松平定信により寛政異学の禁が断行され、大きく影響を受けたと思われる。
37歳で昌平黌の塾頭となり、以降安政の大獄のおきた年に88歳で没するまで教育界の先頭に立っている。

著書も多く、中でも小泉前首相が田中真紀子外務大臣の騒動に対した時、全閣僚に「重職心得箇条」をコピーして配ったのは記憶に新しい。

又、幕末の外交文書の起草も一斎の手によるものが多く、幕末の志士の殆どは直接訓導をうけていなくても間接的には一斎の教学を受けているものは多い。

激動の時代に50年以上教育界の頂点に立ち、学生の指導をしてきた実績は大きく、現代の教育界の混乱に解決の哲学をそこにみるのは小生のみではないと考える。

その一斎がその想いを随筆集「言志四録」に綴っている。

そこから現在の教育に何が欠けているかを読み取りたい。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
URL(任意)
本 文
佐藤一斎 よく考えよう/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる