よく考えよう

アクセスカウンタ

zoom RSS 火葬場での骨拾い

<<   作成日時 : 2008/02/29 20:02   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

式場での通夜というのは形式的なものだ。
誰が故人を参るか分らないのだから仕方ないかも知れない。

それにしても真言宗とは幅広い宗派だ。
我が祖先を祭って貰うのは真言宗智山派の祭り方になれているので戸惑ってしまった。
それにしても声の綺麗な和尚だ。
テノールの響きが美しい。
論理よりもこういう声に隋・唐の皇帝達は聞き惚れ、鎮護国家の柱に仏教を据えたのかも。
印度から中国へ中央アジアを通っている間に様々な哲学を取入れ、哲学としても完成度の高いものであったが、法華宗や念仏宗の経典は右脳を心地よくするものであったに違いない。


読経は続く。
最後は13仏の真言読経だ。
坊主丸儲けとはよく言うが、この1時間に満たない間に数万円稼ぐのだから結構だ。

翼朝の葬儀は少し読経が増えただろうか。
しかし、自宅であれば少しは親族と会話もするのだろうが、式場では会話も何も無い。
我々は只手を合わせるのみだ。


式が終わり、焼場にむかう。
30分は掛ったであろうか、雪がちらほらと舞い散る中を霊柩車と遺族を乗せたバスが進む。
着いて、焼く前に和尚の読経があり、待合室で1時間弱コーヒーを飲みながら待つ。


呼ばれて、読経の部屋に行く。
見事に白骨のみだ。
何の感慨も無い。


それも骨拾いをすると一時に吹飛ぶ。
最初は足の骨から拾っていく。
次々に箸を持つ手を後退しながら上に進み最後に叔母が頭蓋の1番上を拾って骨壷に納めて式が終了した。
ほんの1時間にもならないのにあれだけあった5躯が小さくなってしまった事に思いが深い。


帰りのバスの中でこの50年に及ぶ叔父との関りが走馬灯の如く去来して消えた。
雪も叔父の仏への旅立ちを祝福しているのだろう。


33年に及ぶ仏への旅の無事を祈りたい。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
火葬場での骨拾い よく考えよう/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる