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zoom RSS 漫画「どんぐりの家」から

<<   作成日時 : 2008/05/21 20:06   >>

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漫画「どんぐりの家」からを記事に書下ろす為に漫画の作者山本おさむ著「どんぐりの家」のデッサンを斜め読みした。

ビッグコミックと言う毎月10日と25日に出されるコミック雑誌は「カムイ伝」「のたり松太郎」「きりひと賛歌」等名作を数知れず生出し、現代でも「魚河岸3代目」「華中華」を楽しませてくれ、その冒頭か巻末から「ゴルゴ13」が居座ったその世界での横綱とも言える。

その中で一際じみな存在が「どんぐりの家」であり、目はそちらに行かなかった。
この広汎性発達障害の一連にそれがあって改めて漫画家山本おさむに目が言った次第だ。
山本は綺麗な絵を描くが、他の漫画家と違って黒の占める面積が広い。
従って、ついそこから目を逸らしてしまっていた自分と向合っていた。

山本自身母子家庭で育ち、小学校へ上がる時、中古のそれも洪水で一度水に浸かった黄ばんだランドセルしか持たせて貰えず、離婚で父親の居ない屈折した学童時代を経験している。
「どんぐりの家」も出世作の1つ「遥かなる甲子園」の取材中に読んだ、ろう重複障害者の共同作業所“どんぐりの家”を設立したお母さんや先生方の手記をまとめた小冊子『生きようね、未来をみつめて』が原点になっている。
差別と言う視点から切込んだ視点は、その保護者の「障害受容」という視点に切替る。

詰り、差別されて結果的に隔離しか生きようの無かった重度障害者がその持てる力を社会に指示した「遥かなる甲子園」へと生きる世界を広げ、その力を生出した教育者の物語「わが指のオーケストラ」を経て障害受容に切込んだ「どんぐりの家」へと続く。

山本は「差別されて痛い自分が居たが、同時にもっと弱者を差別した自分が居た」と言う。
これが差別の本質かもしれない。

真似の出来る健常者は夫々の障害の特性から真似の出来ない障害者を差別する事で、真似しかしない健常者の立場を保全しようという本能が差別の本質かもしれない。


この「どんぐりの家」のデッサン冒頭の劇画「どんぐりの家」第1回「誕生の日」は幼い田崎圭子が他所の家を無茶苦茶にしてしまうという衝撃的な書出しで始まった。

近所の人が「あの子...圭子ちゃんはね障害児なの。生まれつき耳が聞えないうえにね..。目を離すとうろついて、迷子になって大騒ぎなの。大変よねぇ田崎さんも。未だ若いのに。」と噂。
母の独白
ドアをロックし、カーテンを閉ざし家の中に閉じこもる。圭子は怒って物を倒し、投げ、私の髪を引っ張る。オナガ鳥のような声を上げ、私に掴み掛って来る。私は黙ってされるがままにしている。これが私達だ...。私達親子だ...。
圭子はパニックを起して自分からタンスにぶつかって行く。鼻血を流し、唇を切り、失神してしまう。その娘に「圭子。圭子。」と叫ぶ私が居る。


何処かのブログで悲鳴を聞いたような気がする。
劇画で表現されると実に生々しい。

改めて漫画家山本おさむの足跡に敬意を表したい。
障害者が居ると言うことと、その障害者に合せた教育の必要な事。そして、その教育は健常者と同じ舞台若しくは異なった異才を発揮できる場が提供される事を示唆している。


筆者は自身が高機能自閉症と診断される前から、自身が障害者と言う自覚が無い時から人間は全て足したら1になるという哲学を持っている。
多分、自身が自閉症と言う自覚は無いが何か足りないものがあり、それを補うものを探していたと考える。
筆者の主張は足りない所は、詰り目が見えなければ後頭部にある視覚野は他の感覚が使用してその使い方を学べば、健常人の聴感覚や臭感覚を遥かに超える能力を発揮すると信じる。


その考え方が自閉症者は法則化エンジンを健常者よりも遥かに高い確立で持てると考えせしめている。
この詳細は次の「俺ルール」で詳述することになる。

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