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zoom RSS 協働を定義する

<<   作成日時 : 2008/06/22 11:03   >>

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講演では3つの協働・連携・対等性についての定義が行われた。
協働とは、非力さに気付いたものが必要とする。

連携とは、複数の者(機関)が、対等な立場での対応を求めて、同じ目的を持ち、連絡を取りながら、協力し合い、夫々の者(機関の専門性)の役割を遂行する、対等に近い関係が生じた時点で、多くの課題は消滅する。

対等性が保証されている場合は、3つの枠組みが共有できた時である。


懸命に成長しようとする自閉症者に保護者や保育・教育者の枠組みを越えて協働していかなければならない。
教育機関を離れた時、詰り大学を出た時だが自閉症者の精神年齢は健常者の10才を超えたばかりだ。
それを親は大人として扱い、教育現場は卒業して社会に送り出す。
詰り、それまで親や教師から励まされてやっと自身の人格を保てていたものが突然社会の荒波に放り出される訳だ。

健常児の10才を超えた頃は第2次反抗期と言って、親を乗越える時期に他ならない。
親を乗越えて初めて、真の独立した人間となる訳だ。
自閉症者が青年期に犯罪を犯す事例が多いが、真の自我が確立していない故に起しているものが多く感じる。


秋葉原の歩行者天国無差別殺傷事件を見ても雅に典型ではないか。
犯人は自身と社会との繋がりが欲しくて、ネットで繋がり縋っている。
しかし、他者は他者。
特にネットでは、相手の眼窩前頭皮質が見えないのだ。
情を同じくする人間(哺乳類いや目を備えた高等生物)に備わった機能の大部分を使えず、教育によって培われたもののみが共感に浴する事を知ろう。
ネットでは共感を一方的に求める渦を為している。
詰り、共感を得られない者達の逃げ場所と化している感も呈している。


これを救うものこそ協働しかない。
救う立場のものが挙って救う為の網を構築すべきだろう。
暖かい感情だけで救えると思えば大間違いだ。
人が人を救うという作業ほど大変なものはない。


仏教では無量という言葉が随所に使われている。

仏様の力は無限大と言う事の裏返しなのだが、現代社会はその考えを否定し続けている。

法令によって教職員は宗教を禁止していて、宗教用語は教育から抹殺されている。

ここにも現代社会の闇があると言わねばならない。

自閉症者が成人後も希望を持つ社会になるよう社会システムのリストラを進めようではないか。

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