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普通、人は100歳位になると少々の努力では背中が曲り、この世から去っていく準備をするもののようだ。 しかし、平均寿命は100歳に達しないし、それを超えて生きる人が存在するのも事実に他ならない。 病気に掛り、致命的な障害によって命を失うのは縁の為せるわざでろう。 しかし、最近の老齢者は成人病及び癌によって命を落す人が多く居る。 ここに逆説を付けたのは、命の焔を燃やし続けていれば掛らないはずの病気であるからだ。 肝心なのは命の焔を燃やす事にあるようだ。 私事であるが、私の母は後2ヶ月で満82歳となる。 昨年夏、15才年の離れた自身の弟を脳腫瘍で失った時、胴は曲り重症の便秘に掛った。 命の焔が小さくなっていたのかも知れない。 その折は、アロエの葉をその侭ガリガリ噛んで貰って便秘を克服できた。 市販の薬は言うに及ばず、医者の薬も他の病に対しては直に効くのに、その時ばかりは効かない。 誠に、アロエ様々だ。 それと、10月からスポーツジムに通って貰い出した。 弱った年寄向けにプログラムを組んで貰い、通って貰った。 努力はしてみるもので、年が明ける頃には3km程の距離は歩いていけるようになった。 しかし、胴の曲ったのは中々治らない。 要するに腹筋及び体幹筋が弱り、支えられないというのが真相のようだ。 今年の3月位からはジムが休みでない限り、休まなくなった。 目に見えて、曲り方が違って来たように思う。 今の時間もジムに行って身体を動かしているはずだ。 その母が今朝、日経新聞を最近取出した付録の日経ビジネスAssocie08・19号にある「トヨタ式カイゼン 5つのアクション」を見て、文字が小さいから見易く書き直して欲しいと言った。 これこそがジムに10ヶ月通った効果で、命の焔が少し大きくなったのだと感じる。 気のせいか胴の曲りも大分気にならなくなってきている。 82歳にして改善を考える気持は大切にしたい。 それに付随する作業で午前中は潰れた。 命の焔は雅に志と同義ではなかろうか。 何でも良い、志さえ持てば命の焔は燃え盛り、病など寄付けないと考えるが如何。 |
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