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zoom RSS 歴史を掻い摘む上

<<   作成日時 : 2009/02/23 10:48   >>

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米国が押進めてきた世界のグローバル化はそれによって毀損した欧米市場から発信される信用不安が世界中を襲っている。
そんな中で、我国は55年体制が真の終焉を迎えようとしている。
全ての世論調査で10%台前半、切っているメディアもある位だ。


前の記事で日本が如何に柔軟に海外文化を取入れ、それを我国独特の文化を醸してきたかを概観した。
この記事では日本人がこの国に足を踏み入れてからどう意識展開をしてきたのかを綴りたい。

日本の旧石器時代における最古の遺跡は凡そ4万年位前に入口遺跡があったと確認されている。
この時代の人々は多く集団生活をしており、それは小集団では巨大肉食獣の餌食となるからで、逆に大集団になる事によりそれらを捕殺し食用にできたものと考えられる。
その肉食により、人類の大脳が巨大化して言った事は言うまでも無い。

生活を変えたのは揚子江に棲息していた倭族が北京で建国した殷に追立てられ、その1部が日本に渡って来た事に拠り、稲作が始まった事による。
当時の稲作は2百人を単位とした集団で無いと不可能であった。
鉄器の無い時代に石鋤で開墾するのにどれ程の人力が必要であったろうか。

大陸では殷が滅びてその落人が日本に落ち延びた頃から神話の世界が花開く。
青銅器及び鉄器による征服戦争の時代だ。
元々居た旧石器人達はその支配化に置かれ、やがて邪馬台国や出雲国を従えた大和朝廷の時代となる。

万葉の時代に入り、稲作の単位は百人程に生産性向上し、人々の暮しに大らかさが感じられる。
骨肉の争いを制した大海人皇子が飛鳥浄御原で即位。国史の撰修に着手、八色姓を制定し律令体制を推進した。
大陸では随から唐に支配者が移り、その国威が増す中で対抗すべく平城京に遷都された。
仏教による鎮護を推進めた為、南都6宗が力を強め、その力から逃れるように平安遷都が行われた。

鉄器の普及等により生産性の向上を見たが、天皇専制の基礎となる班田制に綻びが目立ち始め、寺社や貴族の所有する荘園が目立つようになる。
紫式部・清少納言等が活躍する貴族文化の開花である。
公式文書は漢文であったが、和歌文化はひらがなに命を与えた。


まるで、官僚が主権者たる国民を支配する姿に似ているが、やがてその制度も武士階級の登場によって破られる。
泣く子と地頭には勝てぬと昔から言われるが、あの地頭の登場だ。
又、山椒大夫で分る様に、商人の登場や山賊の横行が目立った時代でもあった。

源平の騒乱を勝ち抜いた源頼朝は鎌倉幕府を征夷大将軍として開幕する。
武士が実権を握るようになり、その地方、地方は支配者が直接眼に見える形になった事で生産性や商業が盛んとなる。
民衆の求めに応じて鎌倉仏教が栄えたのは前記事で紹介した通りだが、そのエネルギーは能楽の魁となる猿楽の登場へと展開していく。

雅に地方分権が求められている原型をここに見るような想いがする。
民衆1人ひとりに目配せできる政治体制が求められている。
幾ら中央官庁が抵抗を試みようとも歴史は中央集権から地方分権へ進むように示唆している。

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日本民族とは何か
我々日本人は単1民族であり、武士道精神を中心とした和の心を大切にしていると考えている。 しかし、現実問題を言えばホモサピエンスはアフリカの森林からサバンナに移動して生れ、それが明らかな足跡を以って世界各地に分散して現在の民族を作っているのは事実だ。 ...続きを見る
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2009/02/23 10:50

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