よく考えよう

アクセスカウンタ

zoom RSS 戦前の日本は貧困であった

<<   作成日時 : 2009/03/14 12:50   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 1 / コメント 0

このブログを読んで頂いている方々は卒塔婆小町と言うフレーズに耳慣れていると思う。
人肉を食う、今で言えば中学生位の少女のことだ。
それは今から千年近く以前の鎌倉時代における京都四条河原での出来事であったと聞く。

生きる為とは言え、死後間もない人を喰らうと言う想像を絶する社会があり、そこに鎌倉仏教が生れる素地があった。
貧しい時代には富は局所に集中し、多くの民は貧困の中で必死で生きていた。
その必死さが生産性向上を齎し、徐々に富める国に変貌していく。

富の集中は現代に世界遺産として残されている。
世界遺産と称されるものは自然の造形美は別だが、多くの貧賎者が醸す怨念の塊でもある。
日本にも多くの国宝があるが、それらを見る時、名も無き多くの貧しい人々のうめきを聞く想いがする。

世界で最高の識字率を誇った江戸末期も飢饉で政権が崩壊したと言っても良い。
昨年の大河ドラマ「篤姫」が誕生したのは天明の飢饉の時であった。
天保・安政へと飢饉は続き、年貢を払えない人々は逃散し、抜け参りやええじゃないかの流行は幕藩体制崩壊へと続く。

そんな日本にあった唯一の幸運は2次大戦敗戦まで外国による文化の蹂躙が無かった事であろう。
世界中何処を探しても、そこそこの人口を保有していてそう言う国家は無い。
隣の朝鮮半島は陸続きの中国の影響で常に文化がコロコロ変っていた。

そういう日本に齎されたものは渡来文化の熟成と応仁の乱を発端とする戦国時代を生んだ。
その戦国時代を潜り抜ける事によって日本人に真の実存哲学が定着したと言えよう。
それが3方皆良しと言う商習慣を生んだと言っても過言では無い。

明治維新になって日本の心は武士道で象徴されると海外で評価されたものだ。
日清日露戦争に勝って、国家として西欧列強と肩を並べたが、飢饉になると東北の農家の娘は遊郭に売られていた。
現在の中国が戦前の日本の跡を辿っているように思う。

路地を入れば貧しい人々が暮らし、農村に消費文化が入ると借金を払えない農民が出ると言う状況にあるようだ。
温家宝首相は日本に貧しい人が居ない時代を迎えた事に「学びたい」と言った。
しかし、その貧しさの無い日本は高度成長後に始めて齎されたもので、その前は惨憺たるものだった。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(1件)

タイトル (本文) ブログ名/日時
貧困を撲滅できる時代がやってきた
今、テロとの戦いと声高々に叫ばれている。 このアルカイーダを代表とするテロの温床となっているのは言うまでもなく貧困に他ならない。 飢死と隣合せの生活の中で驕者に対する怒りが志願兵を生んでいる。 ...続きを見る
よく考えよう
2009/03/14 12:51

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
戦前の日本は貧困であった よく考えよう/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる