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zoom RSS 囲碁習得で何が分るか

<<   作成日時 : 2009/07/17 11:52   >>

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囲碁習得において、先ず出逢うのは自閉症者の自身との相似性だろう。兎に角、何をして良いか分らないけれども、何かしなくてはならない状態に常に置かれている状態と非常に似通ってている。先ず、四方を囲めば相手の石が獲れる事に魅力は感じるものの、現実に一手交代で進めなければならないゲームに置いて、意識して相手の石を獲ると言うのは至難の技だ。囲んだ所が地になると教えてもその地味な作業には中々関心が向かない。

支援者や保護者は囲碁を倣うべきと考える。これ程、自閉症理解に適切なツールは他にないだろう。大体、覚えようとした経験を持つ人は多いと考えるが、楽しめるまでに上達しないのでその習得を諦めてしまう人が殆どであろう。その諦める課程でぶつかる現象が自閉症の置かれた状態を想起させるのに十分な自身が体験しうると考える。

弱いながらも楽しめるようになった時、獲得できるものは互い違いにしか石を置けないから自身の思惑通りには100%進まないと言う認識に他ならない。これは生きていく上でもその環境となる社会があり、その社会におけるルールに従うと言う概念を教えずして学べるという点だ。

思い通りにならない状態を打開するものが布石を始とする準備をするという概念の獲得であろう。地を囲うにしても、相手の石を捕りにいくにしても事前にその準備をしていればこそ実現する訳で、これも社会生活に欠かせない心掛けの1つだ。準備する作業は自身がしたい作業をする為に行う事であって、我慢をようする事でもある。これが我慢しなくとも積極的にできるようになればそこそこ楽しめる段階に差掛るといって良い。

この段階で、厚みと言う概念に遭遇する。碁は厚く打てと良く言われるが、厚く打っていれば知らずの内に地が後から付いてくるので、有効な打ち方だがこれが中々できない。できれば既に高段者となっている。この厚みと言う概念は社会生活に置き換えると信用という事になるだろうか。お金を貯め、人から1個の人格として認めて貰ってこそ様々な事柄が自身の思う通りにいきだすという事だ。この厚みに対する認識を見誤った人が麻生総理に他ならない。

人は悉く自分地中心にしか考えられない。その自分中心と言う中に厚みの概念が正確に入っていれば何をしても巧く行くのだが、祖父が故吉田総理と言う事でその厚みの概念を誤った人が麻生太郎と言う政治家だ。雅に、他山の石とすべき現象である事に異を唱える人は居ないと考えるが、それを真に培ってくれるのも囲碁以上のゲームには見当らない。

私の場合は囲碁が場の理論と重なって理解しているものであるから、最近も熱力学第2法則と言って煙に巻くような記事を書いているが、そういう科学的な抽象概念の理解にも大いに役立っている。自己認識も基本的には盤に石を置くという事から実存を理解し、自身の信用を高めるには何をすべきかと言う事も囲碁と置換えて認識し実行している。その他にも必争点、大場、効率性等社会生活に役立つ事は数多いが、それを実際に社会生活に活かせている人は数少ない。

それは囲碁をゲームとしてだけ捉えているからそうなるのであって、自閉症のしつこさがそれらの概念を結晶化し、生活に役立たせてくれたと受止めている。もう1つ自閉症に囲碁を薦める理由は、忽ちに行いたい欲求を持たないからだ。何を与えても全てに熱心に取組む性癖を自閉症は持っていると感じている支援者や保護者は多いと考える。その与えるものに折角の熱心さを消化させる程のものを与えずに困っているのが現状の支援者の姿と見受ける。

アインシュタインやエジソンに代表される人々は与えてくれたものが良かったのであろう。常人の感覚で単なる支援として与える現状の支援スタイルには大きく失望している。学者はオピニオンリーダーとして本質が何かを考えなければならない。只の思いつきでするのであれば、囲碁は社会性を与えてくれると言う点で大いに推奨したい。

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姑息な産経新聞ワシントン駐在編集特別委員・論説委員
 基本的に、相手が右であろうが左であろうと、支持政党が自民であろうが民主であろうが共産党支持であろうが、はたまた仏教徒であろうがキリスト教徒やイスラム教徒であろうがそれは各自の信じる道であろうし、いっこうに構わないと自分は思っている。しかし、ジャーナリストを名乗る新聞記者が自分の都合のいい部分だけを引用をし又都合のいいように翻訳(偽装)をして記事にすることが果たして許される事だろうか。 仮に彼が、記者ブログと名乗るのであれば、立場上の偏向記事までは赦そう。 又、記者ブログを名乗らないのであるなら... ...続きを見る
雑感
2009/07/17 15:35

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