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この韓国滞在も残す所、正味3日となり日本へ向けて出発する準備に取り掛かり、気忙しくなった。この韓国旅行も何と言って全く何の手掛りも無い状態であったのが、一応の韓国に対する自身に対する印象も持つ事が出来、様々なものを持ち帰れる結果となったのは真に悦ばしい限りだ。ウォン安で思い立った韓国滞在であるが、目的である韓国商材輸入の目処を立てる会社が残り一週間を切った所で縁ができた所に縁の不思議さを感じる。 現在住んでいるコシュウォン事態もこのブログを続けていたお陰で、昨年末から住んでいた「30代男韓流」を主催している人をネット検索で縁が繋がったと言う運の良さには感謝する他無い。渡韓を決意して、どうやって生活の拠点を得るかが最大の悩みの種であった。行政サービスでは数件当ったが何も対応してくれず、ネット検索に明け暮れる毎日であった。 何か知りたい事あればネット検索が1番だ。探す気持が大切であって、棚から牡丹餅という事はまずあり得ない。旅行会社が世話してくれるのはホテル止まりであって、ドミトリーであっても自身で探し当て予約を入れなければ泊まれない。ネットのみで宿泊先確保と言う運の良さに「30代男韓流」さんには感謝の一字しか無い。「30代男韓流」さん自体、ブログでも紹介されているが韓国に居る知人と共に捜し歩いた場所に韓国語も喋れない私にとって、ネットで決まったと言う事実は幸運と言うしか無い。 初めての観光地が迷込んだ駱山公園と言うのも、ソウル城壁との出逢いを決定付けたと言う点で運命的だ。東の城壁はこのコシュウォンから東大門まで2kmと言う近さもあって20回を超えて馴染んだ。「天空迄のびる」と紹介した北岳山と仁王山を跨ぐ北の城壁にも2回行き、600年前の韓半島の凄さを肌で感じた。 偶々、日韓交流センターで知合った文筆業の3才年上の男性が連れて行ってくれたのが「雲峴宮」であった。韓国の人々は李王朝の末期を随分と評価し観光地として整備しているが、この時代こそ韓半島の力を貶め、結果的に日韓併合に繋がっている。日韓併合は歴史的必然であり、その時代あればこその現在の韓国があると言っても過言では無い。歴史認識と韓国の人は良く言うが、そこの所をよく斟酌されたいと受止め得た。 言葉が全く通じない時に市場巡りも良くした。専門店が多く立ち並ぶ市場と屋台や露天が形成する韓国のマーケット事情も良く分った。最後に訪れた江南の賑わいはソウルオリンピックを契機に韓国財閥と外資が混交してそれまで韓国には無かったビジネスモデルが展開された結果だろうと受止める。このビジネスモデルが最終的には韓国全土に広がるのだろうが、その時に韓国経済はどうなっているか空恐ろしいものを感じる。 韓国滞在残り1月になって、ぐずぐずしておれないと言う意識に駆られジェトロを訪ね、韓国農林輸出入組合を紹介されたので飛込んだ。3週間忙しいと言うので、それを待って紹介されたメーカーと交渉したが捗々しく無い。残る所、丁度1週間の時に棚に置いてあった調味料に書いてあるURLを打込むとその会社はソウル市内にあり、世界に向けて発信を始めた所だと言う。 もし、扱うようになってもどう言う契約内容になるか分らないが望む方向に向けて連日交渉中だ。残り2日だが、実りあるものとなるよう頑張りたい。動き出してソウルジャパンクラブと言う組織があるのを知り、今日もその囲碁同好会に行く予定にしていて、韓国におけるコミュニティ形成も予想以上に順調だ。 以上、経過を書いてきたが、こういう成果を産み出しているのは自然体で臨んだからと自身では感じている。その自然体の実現には自分探しが大きく拘っており、それこそが自己生成を生み出す原点に他ならない。全ては熱力学第2法則に従って動き、その結果として我々はこの自己生成作用によって、炭水化物と窒素に微量元素が加わってこの肉体及び脳機能を生じしめている。 囲碁における考え方がその自然法則と同じと感じるし、囲碁で培った感性でこの韓国旅行も企画し実行している。これが自身に自然体を装わせ、自己生成によって生じる作用を齎せたと信じる。 |
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バカンス特急脱線!アドリア海リゾート列車事故で死傷者61名
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米流時評 2009/07/26 18:10 |
当時、韓国ウォンは円換算がラクだった。8月15日韓国独立記念日。リー、台湾出張に緊張する。
当時、韓国の通貨は1円に対し10ウォンと計算しやすかった。たとえば、例の麗しき店長のいるベーカリーで食パンを買う時、だいたい1800ウォンくらいのものをよく買い求めた。すると、日本円で180円という具合に0をひとつとればいいわけである。あの頃台湾では、台湾ドルを約3.5倍して日本円をはじきだしていたのに比べ非常に楽だった。しかし、いずれにせよ、頭の中ではウォン、円、そして台湾ドル、すなわち元が掛けられたり割られたりして常に姿を変え、忙しかった。週に一度のアメリカ系大型スーパー... ...続きを見る |
マダム スンの台湾と日本の片隅で 2009/08/31 11:11 |
| 内 容 | ニックネーム/日時 |
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そうなんですか |
風子 2009/07/26 15:26 |
ようこそ風子ちゃん。 |
Hbar 2009/07/26 18:27 |
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