問題への着目点のパラダイム的転回

講演では、問題はその子個人にあるのではなく、その子を含むクラス全体の関係性にある。問題視される子供がいるとすれば、その子にそうした位置を提供した状況がある。
その子の現在の状況は、そうしたその子を含む人間関係の歪みの現れとして理解する。
問題を「どうしたら解決できるか」という問いから「何故問題に見えるのか」、「誰にとって問題なのか」、という転回へと指摘された。

確かにその子本人を問題にしても、何の解決にもならない。
クラス全体という捉え方であるが、日本の場合その地域社会の崩壊が叫ばれて久しいがそういう観点が重要なのは言うまでもない。

社会が壊れているから、子供に問題がある時、その核家族でその問題を抱え込まねばならず、その専門教育を受けているはずも無い保護者に負担が押寄せる。

元々、日本の社会の原点は室町時代の惣村と呼ばれる自給自足社会にある。その自給自足するそのあり方に問題家族が生じた場合一定のルールの元に互いに助け合って惣村を成立せしめた。

その仕組が残っていた終戦直後までは地域の自浄作用が働いて大きな問題に立至らせなかったと考えられ、現在古くから残っている慣習は、その時代から少しずつ時代の変化を受けながら引継がれて来た様々な問題を解決する為の生活の智慧と言えよう。敗戦後の高度成長で核家族化が進み、新しいニュータウン等の登場で長年続いた地域を守る仕組は壊れていったと考えられる。

現在では情報社会の登場を受けて、新しい社会のあり方が模索されている中で問題のある子供にどう向合うかが改めて問われている。

壊れてしまった古い秩序に替る新しい秩序は多くの分野でその必要に迫られて模索中だ。

どういう人間が人間に向合うかという古くて新しい命題に立向うのに行政のあり方も問われているように感じる。

既得権益者から見た問題児とは何か、そしてそれに対する処方箋を問われている。


そして、我々現代人にとってその問題とは何か、それとどう向合うのかが問われている。

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