書き終えて

自閉症の人達の悩みは分らないに尽きる。
分らないから一生懸命に分ろうとし、素直にさえ見えるのだろう。
そういう分らない人達に、人生の足取りと作り方を教える事が療育に他ならない。
それは健常者に教えなければならない事と何ら変わりなく、只、分らないという人達を相手にするから困難な訳だ。
健常者であれば、窮したら真似をしろと言えば良い。
所が自閉者に対しては真似をすると言う事から教えねばならず、その真似が新しく始める事以上に困難なのだ。
その動作の1つひとつを定義していって、その数千とある条件を全て満たす事が真似という事だ。
健常者はミラーニューロンに任せれば真似が出来る。
そういう人が集まって巧くいく組織が学校と言う事だ。
そして自閉者は教えなければ何も出来ないのかと言えば、種さえ与えておけばゆっくりではあるが俺ルールを作って社会との折合をつける。
だから、療育と称して自閉者にしてあげなければならない事はその自身における成長を助ける事に他ならない。
そうして種を与える時、その種子が伸び根を張った時に想定される姿が健常人と同じ想いになるようにするのが理想だ。
自閉者にとって種とは何かも問題であろう。
種とは人生に対する足取りと作り方を構成する要素の基種に他ならない。
私自身の足跡を振返ると囲碁と仏教哲学が悉く人生を象る為の素材を為していたように思う。
母親の顔ですら自閉児は大脳に刻み付けねば覚えない。
覚えるまでは全くの他人という事だ。
母親ですらそうなのだから他は尚更に違いない。
自閉症児が明るい未来に向けて足を踏出せる為に療育システム構築が急がれる。

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