自閉症の障害とは一生向き合っていかなければならない

自閉症は遺伝子も関与した脳の毀損障害であるから完全治癒は決してない。
しかし、毀損した部分の不足を補う為に自閉症者は必死の努力を続けるので社会がその居場所を確保さえして上げればそれなりの地位を得る事はできると考える。

詰り、保護者の支えも欠かせないが行政はその居場所を作る事が使命とも言えよう。

自閉症者は必死の努力をして何は無くとも自身で社会に適応する為に俺ルールを作る。
それは健常者から見ればそこまで手の込んだ事しなくてもと思われるような行為をして、一種奇異にさえ見える。
しかし、彼等の立場になって考えればその俺ルールの適用範囲は広く様々な事柄に対処している事に気付くはずだ。

しかし、その対処範囲を外れると、途端に自閉症者特有の適応できない状態に陥る。
その連続が鬱を呼び、様々な2次障害へと向かわせている。
やはりその隙間を無くす為にも療育システムは必要になる。

療育システムに求められるものはその隙間を与えないと言う事が要件となる。
その要件を満たすと言う意味で筆者がしつこく言っている塊という概念を持って頂きたい。


我々日本人の魂の故郷は武士道である事に異論を挟むものは居ないと考える。

実は、この武士道の中核を為しているのが仏教哲学に他ならない。
武士道の成立した江戸時代に武士階級の教養は朱子学による四書五経であった。
朱子学は諸子百家の1人孔子を祖とする儒教の流れをくむ学派であるが、その朱熹による成立の基礎として太極図説を著した周敦頤を祖とする宋学があった。
周敦頤が居た頃の宋は禅宗による五山文化が華やかであって、訓古学となっていた儒教は寂れていて、その寂れを盛返そうと禅宗に止まらず仏教の本質を取入れ、曼荼羅ならぬ太極図を考案したものが主命題として太極図説が発表された。
詰り、孔子の儒教に仏教の魂を入れたものが朱子学に他ならず、それを学んで武士道が成立している。

又、日本においても室町から江戸に掛けて、一休・沢庵・白隠等数多くの禅僧が輩出し、それらは当時の政権指導者達も指導を受けたに相違なく、武士道を形成する時代の空気に大きく影響を与えていたと考える。


武士道を具現する人は仏道を究めた人と言っても過言では無い。

こう言う事を療育に取入れるべきではなかろうか。


それによって死んだ後の我子の行末も安心できるのではなかろうか。

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