ポリシーを育てられない政治家達

ポリシーを持つ為には志が無ければ持ちようが無い。だから幾ら勉強していようと学者や評論家では全てに対して第3者的で信念の篭った発言には繋がらない。無論、こうやってブログで人様を批判している私も例外であるとは考えてはいない。しかし、生活を掛け行動を伴う事に対しては信念は持っている積りだ。

政治家も立候補する時は、浅い乍もポリシーを持って志を立てて立候補したに相違ない。立候補する行為自体なかなか決断できるものではないからだ。何か、自身が変えたいものがあって初めて立候補と言う第1ステージに立てる訳で、何も無ければ決意自体する道理が無い。

しかし、その持つ動機は自身ないし身の回りで起きている事に対してであって真に国政に対してバランスの取れた考え方を有している訳では無く、寧ろそういう考え方を持てる人々にとっては現行選挙制度の下では第3者としての批判者であっても、自ら行動を起そうという気にならないのが本音ではなかろうか。

先ずは何等かの使命感を持つ人が立候補するに相違ない。そうして、次に待受けているものが政党の公認を得ることだろう。無所属で、現在の地盤・看板・鞄に対抗すると言う行為はあのセルバンテスが描いたドンキホーテの行為に近く、当選に要するまでの努力は並大抵のものではない。

大体、立候補する殆どの人は議員秘書をして、泥水を嘗め尽くして始めてその権利を得る事が常道だ。選挙になると、大物立候補者の秘書の数が急激に増える。無論、名詞だけのボランティア秘書なのだが、それでも寝る時間を惜しみ、若さに任せたバイタリティーで大物秘書の指示通りに奮闘している。

それで得られるものは、地方議員立候補の切符と言う事らしい。そういう泥水をすするような活動から実現すべきその地方や国のあり方が身に付く道理はない。地方議員を経験して多少議会に出席してみて分りだすのだろう。地方議員もその生活の殆どは自身の為の地盤・看板・鞄作りに奔走し、ござなりの学びしかしていない。

国会議員も1度や2度の当選では同様で、立候補するまでの生き方が問われる。落ちれば只の人と言うのが議員の立場であるからその精力は当選する為のみに使われ、自身の地盤・看板・鞄作りに奔走しているのが実情であろう。立法をしようと思えば、担当省庁が作文に協力する訳だからポリシーの欠片すら不要なのかも知れない。

当選回数を重ねてくるとその鞄作りの醍醐味に酔いしれ、立候補した時の志を忘れてしまうと言うのが人情でもある。こういう背景が政治と金の問題に重たく圧し掛かっている。選挙制度を変えなければ、真の民主主義は育たないと考えるが、中々鞄作りの旨味を知った政治家からはその声は聞えて来ない。

今回の選挙マニュフェストをざっと見ても、選挙民に媚びを売る「生活」と言う言葉が並びバラマキとしか取れない公約が多い。真に国会議員の為す役割は国家のフレームワークを作る事であって、媚を売る事では無い。将来の日本がどうなるのか選挙戦を見て不安になる。

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