平和ボケしてしまった日本

今日は鳩山政権初めての臨時国会であり、所信表明演説のあった日であった。しかし、市井の関心はノリピーの初公判の方が注目を集め、僅か20席しかない傍聴券を手に入れる為に330倍の人々が集った。平成維新とも言うべき今回の政変であるが、主権者たる国民はノリピーの1挙手1頭足の方が気になるようだ。

気にしていると言っても、覚醒剤に対する認識ではなく、有名人の裁判と言うだけでの関心の高さのようだ。殆どの人は政治に無関心で、マスコミのみが大声ではしゃいでいるのを象徴したのは、参議院補欠選挙の投票率に如実に現れている。この国は真に民主主義国家なのだろうかと疑義さえ感じてしまう。

鳩山総理の演説も冗長で不人気のようだ。尤も、総理に就任して2ヶ月も臨時国会を開かないと言う感覚事態が非常識極まりない。これも今回の民主党政権における真の実力者が総理ではなく幹事長であると言う顕れだろう。自身で納得して推進する政策であれば外交より何をするより法案を通す事を優先すべきではないのか。

多くの大臣が法律による裏付のない侭に右往左往しているのを見ても、総理によるリーダーシップが欠如しているのは否めない。肝心要の国家戦略局や行政刷新会議にしても国会において審議を尽くし、法律に基く運営をしていればもっと異なる鳩山総理主導の政権運営になったのではないか。

日本国民は真に自身の権利を自覚しなければならない。全てはお上が巧くやってくれると言う意識が自民党による無責任官僚支配体質を生んだのではないか。これも悉くは文部行政の失敗の責任ではないのか。考えない国民を自民党及び官僚は望んだからこういう教育を国民に強い、無責任な国民にしてしまったのではないか。

変革を目指すのであれば、耳当りの良い事ばかり並べず、そういう足元から変えなければならない。真に自立した人間作りこそ変革に課せられた命題と信じる。血を流さずに明治を迎え、米国によって現在の日本国憲法が与えられた。自身に与えられた権利にみあう自身に対する責任を分らなくてはならない。


今日のノリピーの裁判における告白こそ日本国民全てが民主主義に対して共有すべきではないか。

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