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zoom RSS 人とは何だその二

<<   作成日時 : 2006/07/23 17:27   >>

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仏教哲学に唯織という思想がある。
般若心経に無眼耳鼻舌身意というフレーズがある。
その眼耳鼻舌身意が識別するものを六識という。即ち、眼耳鼻舌身で感じるものを五識と言い、意識の事を六識と言う。
その上に、心の奥にある無意識を未那識と言って、第七識と言う。
第七織やその他、無意識と言ってもDNAに記録されている、例えば我々の祖先が両生類(羊水中での成長過程で顕れる)であった事等も含めた無意識とも意識しない世界の事を阿頼耶識、即ち第八識と言う。
その奥にあるのが阿摩羅識という第九織である。これは、禅宗での『真人』とか法華宗の『久遠仏』、密教においては最終到達点にあたるものである。
詰り、全ての皮を剥いだ本当の自分は、仏であり聖人であるというのが仏教での人間観なのだ。
般若心経の言わんとする事は、実は眼とか耳や鼻及び舌、そしてそれを包む身体、この五つを在ると判じる心である意の全てが存在しないという意味であろう。
実際に存在するし、それしか他を認識しようの無い我々の感覚器官さえも否定した所に真実があるという事であろう。
その真実の自身は、第九織そのものと考えられる。その具体例が第二話「人としての理想像」で出てきた群像である。
では何故、畠山鈴香容疑者が存在するのかという命題に答えよう。
万民は、全員第九織を持つ。畠山鈴香容疑者とて例外ではない。
我々が生活している中で、非常に着心地の良い着衣があるのだ。仏教で言うところの三毒という煩悩である。
それは、貪欲・瞋恚・愚痴の三つである。
貪欲に分に合わない物を欲しがり、人を悪く言って反省せず、人を不快にするだけの愚痴を言うのである。
例えば、腹八分が頃合であるのに腹一杯食べ、欲する事を妨げるものを憎み、できないと愚痴をこぼす。
油断して無くても、大抵やっている。
仏教では、『苦』の最大の原因として三毒と名付け、固く戒めている。
余程、戒めなければ、着心地良すぎて、着てしまっているというのが人間だ。
その狎れの果てが畠山鈴香容疑者なのだ。

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