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zoom RSS 人とは何だその四

<<   作成日時 : 2006/08/13 20:37   >>

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何故、三毒が着易くって、好むかに言及しよう。
人の本質は九識である。その一番上に、五感から生まれる五識まで下りて初めて現実感が生まれる。
詰りは、九識は孤独なのである。その上に、自身の自覚さえないのが殆どの人である。
孤独こそ、人間が受ける最大のストレスに違いない。
増してや、自覚さえないのである。
それと、意識上で否定しているが心の底で後悔しているものがあるものだ。
世界三大宗教でも、『罪』という概念が大きな地位を占めている訳だ。
キリスト教では、神の前で懺悔する事により許されるというのが重要な儀式として知られている。
仏教でも、浄土真宗開祖の親鸞聖人が悪人正機説を唱えたが如く、仏になろうと発心をし、修業する事により罪が洗い流されるようだ。釈迦の弟子にも盗賊も居れば、殺人鬼も居たようだ。釈尊は、全ての人を拘り無く平等に扱っていたようである。
しかし、許されたからと言って、記憶が消える訳ではない。
誰にでも、何らかのおぞましい記憶を持っているものである。
室町時代から伝承されている能に『安達原』という演目がある。
所は陸奥の黒塚である。
夕暮れになって、弟子を一人連れて旅をしていた阿闍梨祐慶が安達原で道に迷う所から始まる。
夜道に灯りが見えるので、鬼女が住んでいる家で一夜の宿を借りる。
見た所では普通の老婆で鬼女には見えない。快く宿を貸して貰うのですが、突然の来客を持成すのに、薪を山に調達しに行く事になる。出掛ける時に、「私の寝室は見るな」と言い残して出掛けた。
阿闍梨は無論、覗きはしない。しかし、弟子は覗くなと言われると、覗かずに居られない。阿闍梨が寝静まるのを待って、その寝室をひそかに覗いた。
すると、閨の中は鴨居まで屍骸で一杯、血や膿でものすごい有様です。腰を抜かさんばかりに驚いた弟子は阿闍梨を連れて逃げようとする。
山に居た鬼女は本性を見られた事を察知し、物凄い悪鬼の形相をして阿闍梨と弟子を追っていく。
追いついて、阿闍梨と鬼女が戦い、その魔性を調伏するという筋書きである。
畠山鈴香のような事までしなくても、ついついズルをやってしまい、人を苦しませてしまう事もある。
当然、我々人間は他の生物を食して、生きている。殺生無くして生きてはいけないのである。
生存競争においては、人間同士で弱肉強食は世の習いである。
そこで、人間だれでも後ろめたい鬼女の閨を持ってしまう事になる。
この『孤独』と『鬼女の閨』によって三毒という衣装を着てしまうのが人間の業なのだろう。
小説『坂の上の雲』に、その三毒に毒されず生きた群像がある。
「人としての理想像」で紹介したように、明治の始りには、三毒と無縁な群像を多く観る。
次回から小説『坂の上の雲』から学べる事柄を探ぐろう。

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内 容 ニックネーム/日時
サークル、フレンドに誘っていただいて、感謝。読ませていただいたが、むずかしい。私は、教育実践家で、理論家ではないので、こういう高度な論文は、なかなかついて行けません。ゆっくり、消化していきます。よろしく。
首藤
2006/08/17 14:15

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