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zoom RSS 小説「坂の上の雲」の教えてくれるもの二

<<   作成日時 : 2006/08/17 22:06   >>

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小説「坂の上の雲」の男達で、真っ先に名前を挙げねばならないのは好古や真之の父親秋山平五郎久敬であろう。筆者は「逸話のすくない人物もめずらしいであろう。」と言っているが、親の背中は十二分に描いている。
先ずは、貧乏に対して我が子に取った態度である。
次に、僅か十歳の子供が「お豆腐ほどお金をこしあげてあげるぞな」と言ったのに対し、真之を苦しくとも自身で育てたと言う子供に対する実直さ。
好古が池内のオイサンから師範学校の事を教えられ、それを久敬に尋ねるのに、公私のけじめをつけた事である。今の親の公私を付けない事甚だしい。極端な例(日常茶飯事で行われている)が、先生が生徒を注意しただけで教育委員会に言うような事例である。公私混同も甚だしい。
後年、好古が様々な機会で卒無く平時を過ごせたのは平五郎の背中が大きくものを言っている。
二十一世紀になって、学校が親や地域を頼りにしているが、その取るべき態度を文部省は言っていない。何も言わないんであれば、丸投げすべきではない。平五郎は親の鏡である。
表面的な主人公は、好古であろう。小説の出だしから、奉天の大会戦まで彼ほど成果を称えられた人は居ない。修飾がないのだ。唯、出だしのみで大阪への片道切符に始り、陸軍士官学校入学までは、他の司馬文学の主人公と同様である。淡々と情景描写で好古を浮かびあがらせている。これも、平五郎の背中がバックグラウンドとなって、好古像がしつこく無く浮かび上がっているのだ。
その点、子規はしつこい描写が多い。恰も、この小説で一番書きたかった人物であるかのように。もし、そうであるなれば、日露開戦前で小説が終わっていても良い筈である。特攻隊の生き残りである司馬さんは、絶対的平和主義者でもある。この小説を生前は頑として、映像化を拒んでいるのがその証である。しかし、小説は真之が日露戦後に子規の墓参りを描く「雨の坂」で終わる。奉天の大会戦に勝ち、バルチック艦隊殲滅まで書いて、本当の日露戦争の評価のはずのポーツマス条約を外しているのだ。戦闘を描いて、歴史を書いていないのは四十台の作家の限界だったのだろうか。校了後、六十代になって気が付き、映像化を拒否したのだろうか。
しかし、司馬遼太郎は意識したかしないかに関わらず、明治の一面を主に好古を通じて描いている。二十一世紀に入って、歴史を特別に研究していないものにとって明治を知る最大の資料となっている。松山で『「坂の上の雲」のまちづくり』が政策として展開しているのもその証左であろう。
暗い明治を司馬は書いていない。宮沢賢治や樋口一葉の極貧。足尾鉱毒事件や自由民権運動及び幸徳事件に象徴される左翼政治運動に対する明治政府の対応。日韓併合条約を初めとする日本帝国主義の台頭等である。
次回は、小説に出てくる男達の格好よさを書いていきたい。

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