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zoom RSS 明治の罪

<<   作成日時 : 2006/09/20 11:50   >>

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我々は、小説「坂の上の雲」で『運用』力の大切さを学んだ。
第一に、自分を縁に対してどう『運用』していくかという課題です。
次に、ロシアの最大の敗因を作ったのは他でもない、ロシアの司令官が絶対君主に執着を持ち、自身の『運用』力を全く無くした事が最大要因と言えます。現代社会においても、やもすると公務員が不正を働き、仕事らしい仕事ができなくなっているという現象の大本もここに見えます。
又、政治家にとって命をかけた『運用』力が問われました。
満州野戦軍の指揮を執り、満州において日本軍の勝利の形を造った陸軍中将参謀本部次長であった児玉源太郎の『運用』である事は誰も否めないだろう。
開戦前、彼は四代目の台湾総督であった。
前の三代の台湾情勢は、総督を樺山資紀・桂太郎・乃木希典と実力者を配したが、嘗てのベトナムでの米国と同様であった。
日清戦争勝利で占領もしていない台湾を清国からもぎ取った日本は、イラク戦争と同様に正規軍の占領は果たしたが、住民蜂起は延々と続いた。武装して襲撃してくる民兵を日本軍が追いかけると、民衆の中に紛れ込んで武装勢力と一般民衆との区別がつかない。結果として非武装民間人が虐殺され、地元住民から敵意を持たれる。まるで現状のイラクやアフガニスタン同様であった。
これでは、折角のアジア初の植民地も労多くして、益少なしという事で売却已む無しと言う声が出た所で児玉に声が掛った。児玉は医師の後藤新平を民生局長に据え、その持論である「生物学の原則」を以って、台湾の治安回復に成功し、台湾農業の生産力を急速に高め、民生の安定に成功している。児玉源太郎は自身を『運用』できる一人であったという証でもある。
平時の政治家も兵法が肝要という事であろう。
米国の日本復興政策が成功したのは、偏に吉田茂と昭和天皇の『運用』力に拠るものが大きい。
東洋に日本ありと知らしめた世紀を跨ぐこの時代は、人材の宝庫でもあった。
子規の盟友である夏目漱石はロンドンへ、日本画家の竹内栖鳳はパリへ、新劇を提唱する川上音二郎は貞奴とともにニューヨークに、長岡半太郎はパリの第1回国際物理学会議に出席をし、滝廉太郎はライプチッヒへ行っている。ついでながら、新渡戸稲造と鈴木大拙二人の日本紹介は当時のそれも戦時国債引受及びセオドア・ルーズベルトのポーツマス条約仲裁に大きく貢献している。
一方、鉄道建設や銀行法制定等インフラ整備も進んだが、戦費調達の為に重税となり、会社はどんどん倒産し、銀行の取付騒動も多発する等、庶民にとっては苦労の耐えない明治であった。
もう一つ忘れてはならないのは、日本国民が国民意識を平等に持ち、その個の確立の象徴として日光華厳の滝に身を投じた藤村操の「巌頭の感」事件の有った事であろう。
ここに自己を『運用』する人材が多く排出した事により、文部省教育指導方針の間違いに多くの大衆が気付かず、百年以上の長きに亘って継続せしめた結果が現代社会を危機に陥れている事にきづかねばなるまい。
文部省は、躾は家庭にと言っているが、運良く、祖父母と暮らせている人も居るが、核家族化の進んだ今日子供を育てるのは二十台の経験浅き若者でしかないのだから、家族のあり方を放置してきた政府が自己責任でやり直さずに誰がやれようか。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
「明治」に罪はない、もう少し遅れれば 西欧アメリカの植民地になるところであった わが先々代 先々先代の祖先はよく頑張った!植民地に成らないために! 物事を成すに100%と言うことはない、薬に副作用があるようなものだ、
もし罪有るとすれば、葵の印籠 300年の眠り(鎖国)ではないか。
「アメリカの日本復興」とあるが 日本を二度足腰の立たない国家にする狙いのもと占領政策をとったまで(アイシャルリターンのマッカーサーはイエローモンキーとしか見ていなかった)言論統制・検閲・左翼学者の投入・明治大正昭和
は悪・・・二元論(あなた方は被害者悪いのは軍部政府という分断論)・・
最悪は不変の憲法押しつけ(2/3以上という困難な数、当分不可能)連綿と続いた伝統と文化の分断破壊、その副作用に今苦しんでいるのである・・てなところでしょうか?!。

tabito
2006/10/18 15:15
方法があったという事です。
それとも、あれ以外方法は無かったのだろうか。
あれでさえ、庶民は江戸よりも極貧に落ち、結果として官僚支配だけが横行し、満州事変から始まり、太平洋戦争へと突入したのです。
それでは徳川慶喜が何の為に静岡に蟄居したのやら。
そこらを解明せぬ限り、今の世の虚無は深まるばかりです。
Hbar
2006/10/20 22:29

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