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<<   作成日時 : 2007/01/24 19:32   >>

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2006/10/22〜2007/1/7
Hbar 10/22
飯大蔵さんの教育改革については随分力作です。
余り聞いた事の無い話なのですが、日本は応仁の乱から足利政権が倒れる迄、これ程に自由(弱肉教職)は無いという時代の後識豊経て、徳川時代がありました。詰り、日本人の本質は自由という気質を持ち合せているというのが私の主張でもあります。徳川幕藩体制では朱子学を用いて政権運用の基盤としています。
その朱子学の締付が強まった延長線上に現代社会があるという事です。
ここの所で叛乱が起きているというのが今の教育界における本質と捉えています。ですから、「何を教えるか」で言おうとしているのは真の自由人とは何かが最大のテーマとなります。その事例として相応しいと思ったので秋山好古を登場させたのです。
書き忘れたので書きますが、裕福になったのが問題が噴き出た大きな原因という事も忘れてはならない事です。
この豊かさの上に立って、真の自由人として生き得るのが何かというのが本論です。これについては、皆様の忌憚無いご意見をお聞かせ下さい。

Hbar 10/22
飯大蔵さんの大阪・寝屋川教職員殺傷事件の判決が出たも叛乱の一つなんでしょう。
どう止めるかが、「何を教えるか」を書き始める動機であった事は違いありません。
八王寺だより 10/22
飯大蔵さんの「教育改革について」は、元教員として納得のいく指摘です。特に、後半の部分については全面的に同意見です。引用させてください。「以上の原因から対策を考えるとまずは育児支援だ。育て方に不安を持つ親が気軽に相談に行けて、友達も作れる施設が必要だ。
 社会改革も教育改革の為に必要だ。規律を尊ぶのなら、規制を緩め自由に法律すれすれのことが出来る社会ではなく、社会には正義があることを示す事だろう。
 学校の再生には人物金を投入する事だろう。そして教育行政側が評価するのではなく、子供や親や仲間の先生などが公正に評価できるシステムを作る事だろう。
 私の評価と対策は上記の通りだが、政府が考えている対策は次の通りだ。末尾の毎日社説を参考にしてください。
 「教員免許の更新制度」、「国の監査官による学校評価制度」、「教育振興基本計画の策定」は教員と学校に対する国の管理を強化したいだけだ。
「教育バウチャー制度」は学校を特定の評価基準で競争状態をつくるものだ。それは学校の格差だけではなく子供たちの格差も広げる事になるだろう。個性を伸ばす教育も過度な運用をすれば格差拡大に繋がる。
「規律ある人間の育成」「公共の精神を尊び」「伝統を継承し」「我が国と郷土を愛する」は今の政府が望む「期待すべき国民像」を実現するためのものだ。すなわち国家が用意する規律を守り、ある時期のみの伝統を尊び、国家を無条件で愛する国民を作るものだ。
 政府の言う幼児教育もなるべく幼いうちに規律などを叩き込もうとするものだ。
 今の改革は教育を管理したい役人と特定の方向に教育を変えて行きたい現政権の合作なのだ。そのために教育の荒廃の原因を恣意的に声高く言っているだけだ。 
 国民が真に教育の改革を望むのなら、政府でやっている議論を監視し、選挙で答えを示すべきだろう。

Hbar 10/22
これで良いのかという思いを強く感じます。
現在の日本では学力というのは、筆記試験の点数が良い事であり、規律正しいと言う事は大人の扱い良い若者に他なりません。
これで、教育改革を進めていけば、未来の日本には暗澹たる思いが強くなるばかりです。
Hbar 10/24
飯大蔵さんの良く分かる自民党の教育改革で言っている「優秀」と「立派」さの意味がよく分りません。
政治と教育の関り方も書いておられますが、基本的には官僚の在り方の問題に帰結するのではないでしょうか。

Hbar 10/31
飯大蔵さんの履修単位不足問題などについての本質は文部官僚の怠慢が最大の原因と考えます。
詳しくは、ブログを見て下さい。
我々市民が出来る事をしなければこの国はどうなるのかと思います。

Hbar 11/1
短歌随想(師弟愛は死語?)を克服する為には、教員の給与を引上げねばなりません。現代の普通化高校から教育学部へ進学するのは、授業料の安い国立大学で他の学部に入れない落ち毀れの人が入っている状況と言えます。
教員は聖職です。聖職と言うからには優秀な人材を集めねばならない所を落ち毀れを集めている(国立大学に入れる能力を持った人のみが対象)状況を構築しているのは報酬の割に仕事がきついのではと受止めます。
これを回避するには、医者の如く報酬保証が必要です。
昔の聖人君子は赤貧に甘んじていたというのは結果論であって、昔は殆どの人が貧しかったのです。只、同レベルの教養を持った人から見ると赤貧だったという訳です。
児童・生徒に愛される先生を創る為には、教員報酬の大幅引上げが必要でしょう。当然、報酬に見合う仕事をしない人は辞めて貰ったり、再教育が必要となります。それに耐えられるだけの所得保証をつける事が一番効果的な対応と考えます。

八王寺だより 11/1
教員は、仕事の内容に見合った給与をもらっているとは言えません。その点では、Hbarさんの意見に大賛成です。ただ、国立大学の他の学部に入れない落ちこぼれが教員になっているというのは、実態と違います。今、教員は狭き門で、優秀な人材がなかなか教員試験に合格できず、教師浪人が増えています。教員試験が学力中心になっていますが、私は、子ども好きかどうかを基準にすべきだと考えています。

Hbar 11/1
教員試験が狭き門になっているのは、少子高齢化のせいでしょう。私は団塊の世代ですので、1クラスが60人近く位迄増えました。私の世代以降は、児童・生徒の数は減少しています。
今では、三十人学級が当り前になっています。
大学院生がドクターを卒業しても教員枠が無い為に浪人しているのと同じでしょう。文部科学省が定める教員免許を取得しても採用枠が無い為に、その中で優秀な人でも採用されないという事と推測します。
何より大切な事は、「何を教えるか」を特定して教員訓練をする事でしょう。その上で、報酬増額であれば国民的理解も得られます。
全ての人が時代に対応できるように、独学力を持つよう教育すべきです。

六十路独り言 11/1
「落ちこぼれが教員になっているーー」は暴言です。このような独断的な決めつけは、誤解を招き、多くの人を傷つけます。「狭き門」の理由は、少子高齢化の影響もあるでしょうが、近年、不況の影響で、企業が採用を手控えてきた影響も有るのではないでしょうか?「でもしか先生」を思い出します。そちらの方は少し好転しかけてきたようですから、首藤さんの言われる子供好きの人だけが志望者になるのを望みたいですね。

Hbar 11/1
確かに暴言かもしれません。しかし、首藤さんもおババさんも教育学部出身でなくて、教員になる為の単位を取られて高校の教師になられた訳です。
教育学部に行けば、所謂何でも屋です。専門科目というのは無いように思われます。私自身、進学を決めるのに教育学部を除外していました。
私も若かったんです。しかし、その若者が選択するのですから。そして、進路指導で国立滑り込みの人は教育学部に指導されていました。
ですから、大学の教育学部に大いにディスカッションして欲しいものです。

Hbar 11/4
首藤さんの短歌随想(管理主義か民主主義か)では暗澹たる想いと希望がほのかに見えます。
戦後、特に最近の教育によって出て来た先生方に首藤さんのような気骨が備わっていないという事実を突きつけられたという想いには暗澹たるものが隠せません。
教育学部よ確りしろと言いたい想いを強く持ちます。
又、首藤さんの職員会議での粘り強い対応から職員会議自体の在り方を変えしめたという成功事例には勇気を頂けます。こうやって、細々からでも声を挙げ続けていれば国民的大合唱に繋げたいという想いの後押しをして頂けたような気持ちになります。
八王寺だより 11/4
教育現場の民主主義が窒息させれています。戦時中の反省から、政府が教育内容に立ち入ることを禁止し、教職員集団と、父母の力で民主的に教育を進めるという方針が、教育基本法に定められました。しかし、戦後の保守政権は、戦前の体制に戻すことに熱心で、昔のような上意下達の体制がどんどん作られています。本気で立ち向かっていかないと、またひどい歴史をくり返すことになりそうです。

Hbar 11/4
政府のあり方も問題にしないとなりませんが、もっと深刻なのは食うに困らず、好きな事をやって輝くべき青春時代を受験と言う目的達成の為だけに費やした若者が、無知な大学の教育学部の無節操な教え方に毒されて教員となった事が今の混乱の最大要因じゃないかと考えております。
教育学部の先生方に目を覚まして貰わねばどういう国になるのか末恐ろしい想いです。

Hbar 11/4
空を飛べないdanboさんは泣きながら、生きて 原点に立ち返りましたと叫んでいます。
懸命に生きるって大切ですね。それが親の背中を創り、子供を育てるんですから。教育論の本質かな。

Hbar 11/6
首藤さんが短歌随想(真の学力とは)と書いておられますが、中々難しい問題です。
首藤さんが大学の頃は、量子力学の夜明けでした。それは、特別な学問であったはずです。しかし、その応用が半導体であり、トランジスタラジオが生まれ、現在のパソコンやロボットに繋がっています。
今では、超臨界流動という技術を使い、セルロースの繊維までバラバラにしてしまう程に科学技術が発達しております。
文科系も然りで、未解明だった分野が大きく様変わりしています。
こういう時代の学力とは、一昔前の学力とは大違いと考えるべきです。
ですから、先生のあり方、教育方法も変わらねばならないのに、それを考える大人はそこの所を理解したくても、幅が広すぎて出来ないのが現状です。
だから、運用力のみつければ良いという結論になるのです。

八王寺だより 11/6
日進月歩の先端技術は、我々常識人間の想像を超えています。しかし、それも基礎理論を発展させたもので、基礎をすっ飛ばして先端には行けません。運用力というのは、その基礎理論、基礎技術をしっかり身につけるところから生まれるのではないでしょうか。運用力というものが抽象的に存在するわけではないと思いますよ。

六十路独り言 11/6
「真の学力とは」で八王寺さんが言われているのは、受験のための学力か、就職に有利になるための学力か、よりよく生きるための学力か、何のために役立つ学力が真の学力か?と言うことでしょう。 Hbarさんが羅列したことは、知識として何を教えるかと言うことで、次元が違うように思います。まず目的があって、そこから教える内容が決まってくるものです。 単位不履修の問題は、学力をつける目的を受験に定めて、単位の選択をしたことから生じた出来事です。世界史が必修とされた根拠は、国際人として生きるための教養として必要だと考えられたはずですが、その目的が現場には理解されてなかった食い違いが今回の問題を引き起こしたと言えます。先生のあり方、教育方法も大切ですが、まず考えなくてはならないのは、「高校教育は何のためにあるのか」と言うことであり、この点での理解を深めることです。

八王寺だより 11/6
論点を整理していただき、ありがとうございます。今日もあるテレビ番組でやっていましたが、高校教育を、東大へ何人、京大へ何人というためにやっていることに何の疑問も抱いていないところまで来ているようです。高校教育は何のためにという原点に引き戻すことさえむずかしくなっています。あきれてしまいます。

Hbar 11/6
やっと議論らしくなりました。
言いたかった事は、学習指導要領が欲張り過ぎていると言う事です。首藤さんやおババさんの学んでいた時代と今では総量が無茶苦茶多くなっているにも拘わらず、何を子供に伝えるべきかの最低の議論をせずに、もししていたとしても御用学者だけに諮問しただけで指導要領を決めている事が問題なのです。
これは文部官僚の無精に他なりません。

Hbar 11/8
首藤さんは短歌随想(人作り物作り)で教育の難しさを言っておられます。
これが現代教育の癌といえましょう。人づくりも物づくりも同じ事なんですが、折角江戸まで築き上げた教育のあり方をキリスト教の呪縛に取り付かれた西洋風を真似るんですから現場の先生が困り果てるのが尤もです。
物づくりは遮断なしに、良い所だけ取り入れているから今の感動があるのです。職人さんに言わせれば、相手をしなければならない素材は皆違うと言います。だから、修行するのに十年位は掛るんです。大学の教育学部で少しの単位を付け刃で取って教員免状をだすんですから、先ず先生と言うのは丁稚なんです。
それで一人前に教えねばならないのが現状です。

Hbar 11/9
前のコメントに対するコメントに対し答えます。
高度成長までは、丁稚奉公だったんですよ。だから手代になる為に頑張ったんでしょう。落ち毀れた人はいつまで経っても丁稚だったんですよ。
それで、職人社会が成熟しました。
仰る通、機械が人を追いのけています。
だから、何を教えるかというコンテンツが大切です。
教師は明治から丁稚から給料貰っていました。

八王寺だより 11/9
丁稚、手代というのは、商家の話で、職人の場合は、小僧、親方だったと思います。「教師は明治から丁稚から給料もらっていました」というのは、よく意味が分かりません。教師の給料は、公費から支給されていたのではないですか。

Hbar 11/11
父親は親の背中が大切と言う事に想いを深くします。
良い父親を持って良かったですねと言いたい。やはり、自分史は書き残しておくべきなんでしょうね。
その結晶が家訓だと思います。
フレー、フレー、チャーリー。

Hbar 11/11
生徒が暗いのは寒き日だからじゃなくて、小さい時からの詰込み教育のせいでしょう。首藤さんが教育を受けた始めた時は、間違っていたにせよ天皇や家族に対する自己を持つように教え込まれたんだと思います。私は戦後教育ですので、知識の詰込みのみでした。教育基本法第一条に謳っておきながら人格教育を為さず、知識の詰込みが暗くしています。そういう事も自殺の大きな原因です。

Hbar 11/14
danboさんは何故、自殺は続くのか?と嘆いています。
それは詰込み教育のつけなんですよ。マスコミに踊らされるのも人格形成ができていないからだと思います。校長先生だって、戦後の詰込み教育なんですよ。
先ず、自分が何者かという自覚が先であって、知識は自分で吸収するものという教育の基本が間違っているからこの問題になったと考えます。

Hbar 11/14
クルトンパパがいじめが一杯って嘆いています。
確かに校長先生の自殺はマスメディアの虐めかもしれません。しかし、校長を引受けて自殺しか出来ない人格とは何なんでしょう。これが、教育を受けている者の熟れの果てって事だ。
先ず、子供にお前は何だという疑問に答えさせよう。それさえはっきりさせていれば、雨が降ろうが風が吹こうがちゃんとやっていきます。そして、何をして世の中に貢献するのか決めさせよう。詰込みはそれからで良い。自分で勝手に好きな事やりたい事は吸収するように人間できているんだから。

八王寺だより 11/14
寒い日は、特に生徒たちは暗いのです。戦時中は、自己を持たないように教育されました。偉い人、教師、親、目上の人の言うままに動くことを求められ、自分の頭で考えることは許されませんでした。学校は、体罰のある怖いところでした。私は、たった一日でしたが、行きたくなくてずる休みをしたことがありました。戦後になって、自分の頭で考えろ、自分の意見を言えと言われて、困惑したことを思い出します。

クルトンパパのいろいろ日記 11/14
自殺の連鎖は簡単に収まらないでしょう。が、いつまでも続くわけでもない。メディアが飽きれば、終わります。
その代わり、いじめ報道にも飽きてしまいます。
自殺報道はやめればよいが、いじめに関しては、メディアが飽きるのなら、ネットが拘って、解決方法を探るべきでしょう。
教師の質は、我々の子供の頃から変わらないと思いますよ。昔もろくでもない教師もいれば、素晴らしい教師もいた。
少人数クラスになれば、などと言うのもどうなんでしょうね?我々は45人から50人いましたが、40人学級を目指す。35人学級を目指す、と言い、それが実現しても相変わらず。
今度は30人学級ですか。それでもダメなら25人、20人と減らしますか?最後は教師のやる気と、一番大切な家庭の問題。家庭が道徳教育を放棄していたら、学校が幾ら頑張ってもだめでしょうね。
Hbarさんにうながされ、とりとめもない書き込みしてしまいました。

Hbar 11/14
自由に考える程難しいものはありません。自由に考えるには下地が要ります。ご縁、それも良い先輩の背中があってこそ、それを基に考え得ます。
戦後、困惑したのは当然です。
子供にとっての全ての先輩は言葉を裏返すか噤んだんですから。強制されてこそという一面もあります。スポーツ世選手が強くなるのも半強制だからでしょう。

Hbar 11/14
私学については考えさせられる問題です。
大学の教員の言葉に予算を貰わないとという言葉がいやに引っ掛っているからです。詰りは、大学の先生でさえ行政へ良い顔しているという事です。本質論が語られんはずです。日本の頭が行政を気にしてるんですから、以下は押して知るべしです。

mama-iya 1/14
はじめまして。Hbarさんのブログから飛んできました。
mama-iyaと申します。
いじめの問題って奥が深いですよね。
家庭でも学校でも地域でも子供に相手を思いやる気持ち
感謝する気持ちを教える事が大事だと思います。
それにはまず大人の私たちが姿勢を正さなければいけないんじゃないでしょうか?

Hbar 11/14
mama-iyaさんようこそ
背中と言う事ですね。所が自分では背中が見えないんですよ。背中を見るには、人と対した時にそっくり真似されますからそこから見るしか無いという訳です。人の振り見てと言いますよね。だから人の振りを正確に見る目と判断力を養わねばならないと言う事です。

六十路独り言 11/14
いじめに限らず、何事についてもマスコミは騒ぎすぎです。何か起こると、お菓子の屑を見つけた蟻のように群がります。 いじめについて言えば、いじめをした人は確かに悪いです。きちんと状況調査をして責任の所在も明らかにされなくてはなりません。しかし、その役目はマスコミの役目ではありません。加害者についてほじくり返すことは、今度はその加害者を被害者にすることに繋がります。マスコミがいじめをすることになりかねません。いじめがあった学校の校長が自殺する。その原因は、監督者として責任をとると言うこともあるでしょうが、一つには、マスコミの餌食になることへの恐怖もあるのではないでしょうかーー  いじめに関して私が言いたいことのもう一つは、親子が意志の疎通をきちんと出来ることが大切と言うことです。親は子供が胎内に居るときから、子供と心を、それも言葉で伝え合う関係の維持に務めなくてはなりません。子供のことは、なんと言っても親が一番よく理解してやらなくてはいけないのです。 世の中のお父さん、お母さん、いじめが起こってから学校を責める前に、子供達と何でも話し合える、理解し合える仲なのか反省して、よい親子関係の構築に努力してください。子供達の自殺を防止する第1の役目は先生でも、警察でもなく親なのです。

Hbar 11/14
親が若くて、給料だけは一端に取っているので一人前と勘違いしているのが現在の不幸でしょう。昔は若い時は、人の世話にならないと食えなかったし、一人前の家長が居て雑事が裁けていました。ここの捩れを解決する為の学問を学校で教えてないので、解決の仕方が分らない。
ここの所を、どう社会が解決つけていくかと言う事に思いを馳せよう。

空を飛べないdanbo 11/15
「人は生きるために、生まれてきたのです。」
という何でもない一言って、実は凄い説得力があるものです。
生きたくとも生きられない人の哀しみ、苦しみ
そういうものをもっと、分ることができる
そんな教育が今は、求められているのではないでしょうか。

Hbar 11/15
danboさん、その通なんですよ。王陽明は「心の本体は楽しみにあり」と言っています。楽しんでこその人生なんです。同じ事をしても、楽しめるか楽しめないかという二通り出て来ます。
これが教育の本当の成果です。
物事の本質に迫れる人は、何からでも楽しめます。これを教えるのが教育であって、知識は必要となった時に求めれば良いのです。
それを全く分ろうとしない人々が学習指導要領を上位下達にしてしまい、教育基本法に愛国心を盛込もうとしています。

Hbar 11/15
環境が育てるしかないのは真実です。教育も環境の中の一環でしかありません。現在の環境としての教育が間違っているからこそ虐めや自殺に繋がっている事を知らねばなりません。

Hbar 11/24
看護が生き甲斐で仰っている事が「何を教えるか」の主題です。
目標が明確になっていてこそ時間を有意義に過せます。今は、目標も持たさず、知識のみ詰込んで教育してると言っています。とんでもない時間の無駄遣いです。大脳が活発な幼少の時にその人一人ひとりに必要な事だけ学ばせたら、若者全員が有能な科学者や経営者になります。今のニートやフリーターそれに自殺問題も無くなります。政治家は無能だね。

八王寺だより 11/24
モーツアルトやベートーヴェンのように、幼少時から父親が音楽をたたき込む英才教育で、成功した例もありますが、すべての子どもに出来ることではないでしょう。高校生ぐらいまでは、広く浅く学び、その中で自分の得意なことを見つけていくのが、人間らしい生き方ではないでしょうか。看護の道を早く選ぶ者は、高校の看護科へ進学しますが、私の教え子たちは、高校を卒業してから、或いは短大、大学を出てからとか、子育てが終わったからという生徒たちでした。

Hbar 11/24
成功している人は殆ど幼少時からの英才教育なんですね。それと、考えねばならない事は今まで仕事だった事が仕事でなくなるし、仕事を開発したと思った途端、ソフト開発をしてコンピュータで自動化してしまう時代が目と鼻の先に来ています。これ迄常識だった事は全て非常識になり、今迄は一握りの天才に任せていたのができなければニートやフリーターという訳です。心しましょう。

八王寺だより 11/24
ピアノとかヴァイオリンなどのように、長い技術の積み重ねが必要なものは、英才教育が必要ですが、英才教育でなければ成功しない才能というのは、そんなに多いとは思いません。青年期までは広く浅くいろんな経験をすることが、その後の成功につながるということが多いのではないでしょうか。

Hbar 11/24
仕事が仕事でなくなった証拠にニートやフリーターが出現したのです。公務員の心得違いが多くなったのも仕事が仕事で無くなったせいです。ここを見落としてはなりません。全ての人が才能を発揮する仕事に就く時代です。

Hbar 11/25
太田光が薄いというのは仕方ないね。その薄さを売っているんだから。それにしても、あの年に厚みをつけようと思うと教育改革しかない。知識を吸収するより論理性と普遍の哲学が必要だろう。

Hbar 11/25
ホームレス襲撃犯を許すべきではない。これも根本的な教育の失敗事例であろう。己を持っていないから人の命が軽い訳で、ニートになるのとそう変わりは無い。何を教えるべきか教育学部は確りして欲しい。

Hbar 11/29
現在のテストのあり方が何故問題にならないのか不思議に思う。
詰込み目的の教育成果を量っても仕方ないように思えます。子供達は選択できないのですからその環境で精一杯頑張っています。その成果が今の大人です。どうして疑問に思わないのでしょう。

Hbar 11/30
採点というのが一番やっかいです。人が人を評価するという習慣がここで培われるんでしょうね。一対一であれば、他我の強弱を測るのは生物として当然の本能でしょう。大勢を点数で評価するという習慣が日本を駄目にしたように思います。

Hbar 11/30
未解決事件の主要要因である「係りたくない」という気持ちを持つのは知識詰込教育の弊害に他なりません。自身の存在が社会的生き物という事を肯定できない教育のあり方が問われていると感じます。

Hbar 12/1
テストというもののあり方が問われなければならないと思います。テストという縁に出会う事によって懸命に頑張れる対象を持つという機会を生徒に与えられる効用は大きいと思いますが、その反面失うものも少なくないのではと感じております。

八王寺だより 12/1
テストと採点というのは、授業を生徒が理解したかどうかを確かめるためにいいことだと思います。しかし、その点数が、生徒の全人格の評価であるかのように思われる日本の現実は、困ったものです。

六十路独り言 12/1
29日の読売新聞に「東工大ユニークAO入試}という記事がありました。 東京工業大学は息子二人の母校でもあることから注目しました。第1類(理学部)で行われた、合格すれば、面接もセンター試験もなしで入学できる特別入学資格試験には定員20名に対して全国から755人が集まったそうです。 試験は数学だけで計5時間。解法の丸暗記は通用しない、自分で考える力が必要な問題だったとかー 息子達の頃でも、答えだけではなく、発想、過程が重視と言われてていたのですが、数学科の教授が言っています。「解放を丸暗記して素早く解く、という暗記力と反射神経に頼った受験数学の現状に対するアンチテーゼだ」考える力、応用できる力を育てる教育を本当の教育、生きる力を育てる教育だと主張する私としては快哉を叫ぶ思いです。このような傾向が増えて欲しいものです。「地方の高校出身者に独創的な発想をする生徒が何人か居た」というのも注目点です。都会の学生ほど、受験上手になる教育で毒されているのでしょう。

Hbar 12/1
東京工業大学における数学試験問題は三十数年前でも一種独特だったような気がします。ああいう問題は、国語ができないと数学まで辿り着けなかったようなほろ苦い思い出があります。
大学がセンター試験等頼らずに、夫々独自色を強めれば良いと思います。極論を言えば、教授一人ひとり試験が違ったって良いと思います。当然、今のように一律教育では対応できない訳で、国語と数学を含む人格教育を終えた児童・生徒は夫々が好きな科目をそこそこ不覚まで学ぶようになれば良いんでしょうね。

八王寺だより 12/1
受験技術ではどうしようもない、予備校などがつけいる隙のない入試問題を、各大学が工夫すべきだと覆います。

Hbar 12/2
その為には、現在の画一化を促している学習指導要領の抜本的改定が欠かせません。

Hbar 12/5
今話題になっている「デスノート」とイジメに拘りの無い「今日行く!教育!」さんは今何をすべきかという事に満たされているという事実を大切にしましょう。それを教えるのが真の教育です。でも、受験が大切と勘違いされているからテクニックに走ってしまうんですね。

Hbar 12/11
期末テストが嫌いなのは教育が一方通行だからです。一方通行で良いのは人格形成のみで良いと考えます。人格形成さえできれば後は好きな事をすれば良いのです。好きな事を学び、それの成果評価であれば頑張るし、遣り甲斐さえ感じると考えます。

八王寺だより 12/11
古今東西、テストが好きという人はいないようですね。他人から評価されるとなると、少しでもいい評価を得たいので、実力以上にがんばろうとするからでしょうか。

Hbar 12/11
テストといっても自分で進んで受ける資格試験のようなものは前向きに受けるのではないでしょうか。均一教育を評価するのは教える立場からのテストです。進んで受けるテストでないから暗くなるのです。教育のシステム事態を変えなければ今の状態からの脱却はありません。

ゴッタニ 12/12
はじめまして。サークル参加招待のメールを受け取りました。参加させてください。僕は論文などは苦手で、あまり勉強に打ち込んだ記憶はないのですが・・。現在大学、社会人を経て専門学校生でいます。
現場でのアルバイトを経験後、その道に関係する専門学校へ進みました。
自分の道をここ2年は万進しようと決めているので結果としてついてくるものだけに期待しています。
なかなか自分というのも狭い視野の持ち主なのかなとは思います。
受験勉強に関してですが、僕の場合はほとんど身になったためしがありません・・。
それなりに勉強し、偏差値も悪くはなかったとは思いますが体力・精神力不足が尾をひき、自分自身を苦しめているのだと振り返って思うようになり、最近は教育よりも運動、という持論をかかげています。
受験戦争時代にもっと運動しておけばよかった、というのが最近のもっぱらの後悔といいますか、あの頃に運動の楽しさに気づいていればもっとよかっただろうと、
なんとか模索しているのですが自分自身体育会系ではないしどっちつかずで困ったものです・・。
乱文失礼します。今後ともよろしくお願いします。

Hbar 12/12
ごったにさんようこそ。投稿有難う御座います。
文章から拝見致しますと、「なら」さんや「のりふみ」さんより一寸下なんでしょうね。ごったにさんよりも若い人は四人だけなんですよ。
一つアドバイスします。
人生に無駄はありません。誰にでも言えることなんですが、通ってきた一本の細い道はごったにさんだけが知っている道です。他の人は想像できても、その通は分りません。これは貴重な財産ですのでできたらきちんと整理して後で見渡し易くしておくと良いですよ。私なんか誰も教えてくれないものですから、細かい事は殆ど分らなくなっています。それでも四十年前に経験した事を振返ると、どうしてあの時にもっと興味持てなかったんだろうという思いが大きいんですよ。今思えば、面白いことばかりだったんですよ。若いときは、新しいものばかりに目が行って、本当に興味を持ってできませんでした。六十前にして、面白さに気が付いて色々勉強しなおしたりしてます。これもそれも経験しているからこそです。何事にも感謝。感謝。

八王寺だより 12/12
Hbarさんの「空海・最澄」は、最先進国の文化を輸入して、それを日本に合ったものに改良し、行き詰まるとまた最先進国の文化に「追いつき追い越せ」をやる、日本文化の特徴をとらえていると思います。

Hbar 12/13
日本の文化はその行為を繰返している事によって、運用力と言う形になって定着したものです。僅か100年余りの教育制度でなけなしにしてしまうんですから勿体無い話です。

Hbar 12/13
元々人間は掃除が好きなんです。当番という言葉で強制になるから嫌いになります。元々好きなものを呼び覚ませてやるだけです。学びも同様です。

八王寺だより 12/13
おっしゃるとおり、自発性をどう引き出すか、しかしこれが、実はなかなかむずかしい。

Hbar 12/14
義務と心掛けだけでさせているからできないんでしょうね。人間の本性を大切にする学習指導要領でありたいですね。

Hbar 12/15
人間同士のコミュニケーションには優しさ厳しさが必要です。それがなければ何を言ってもその人が見えて来ません。教育は何の為にあるかと申しますと、躾に他なりません。躾糸が外れると自己中二なり、社会からドロップアウトされてしまいます。そうならない為の帝王学であり教育です。

八王寺だより 12/15
優しさ、厳しさの底に、愛情があることが大切だと思っています。愛情のない優しさ、厳しさがいろいろと問題を引きおこしているのではないかと思います。

Hbar 12/15
愛を評価する米国流文化が入ってきて日本は大混乱を起しています。愛というのは永遠に続くものではなくて一時的な感情です。愛する対象を目の前にして、湧き上がるのが愛というフレーズです。愛憎という言葉もある位ですので憎さも愛の一部には違いありません。そこらが最近の悲劇を生んでいる気がしますがどんなもんでしょう。

八王寺だより 12/16
愛という言葉は明治時代にLoveを翻訳したものですが、日本では「お大切」という言葉があり、これがLoveの概念と一致しています。「相手を大切に思う気持ち」、これがなくなって、「自分を大切に思う気持ち」が強くなって、今いろいろと問題が起きているような気がします。

六十路独り言 12/16
男と女の愛、セックスが介在する愛(雌雄が引き合う愛)は一時的な愛かも知れません。しかし愛はこれだけではありません。教育の場で大切な愛は、「思いやり、慈しみ」です。それに、夫婦が長続きするのは、性愛から始まった愛が思いやりの愛に変化するからだと思います。もっとも、専業主婦の夫への思いやりは、たぶんに、生活の支柱には長生きしてもらわなくては困るという、自分勝手な気持ちがあることは否めませんがーーー

Hbar 12/16
仏教での愛は執着を産む大きな魔という事になっています。様々な煩悩の引き金になっているのが愛と二千五百年前に断じています。おババさんの仰る教育の場での大切な愛は仏教では四無量心の最初の「悲」「慈」という概念で言尽くされます。その方が日本人には分り易い筈なんですが、西洋一辺倒の文部科学省は愛を特段に重視しています。そういう社会的背景から煩悩が野放しとなり、虐めや自殺にも繋がっているんでしょう。

Hbar 12/19
飯大蔵さんが教育基本法参議院通過を受けてしつけと教育及び人格について論じています。戦前まではしつけが出来ていないと生存すら約束されない時代でしたから、必然的に躾ができていました。今の日本は親の稼ぎで子供がプータローしていても食える時代だからしつけが問題となっているのでしょう。しつけと規律とは次元が異なります。躾は人格に属するけれども規律は所属社会にのみ固有のものでしょう。

Hbar 2007/1/6
現在の教育の欠陥は真に若さゆえ持つはずのたぎるものの殆どを受験エネルギーにしてしまっている事に尽きます。全く勿体無い事で、その情熱を真に向かう所へ向けさせたなら国も民も潤っているだろうと思います。

Hbar 1/6
夫々の大人達が真に我が人生の楽しみを大切にしていれば、その背中を子供達が見てくれるんだよな。本当に楽しみを探し求め、追求する事が大切なんだ。背中見せる為には言行一致が原則だけどね。

八王寺だより 1/6
人生を賢明に生きるための学力と、大学入試に合格するための学力はまったく違います。入試のために、青春のエネルギーを消費し、合格すると、目標を見失う若者がいる。もったいない話です。

mama-iya 1/6
こんにちは。
お正月休みに兄の家族と姉、母が我が家に集まりました。
兄のところの息子と私の長女が同じ年。
でも、兄のところは小2にも拘らず、小5の算数の問題が
解けるんだと言って、皆から賞賛を浴びてました。
もちろんすごいことだと思います。
でも、勉強だけが出来ても、ゲームばかりやって、
生意気な口きいて・・
子供らしさがない子供の典型になったしまっている。
「お正月に食べるおせち料理はおいしくないから
たべなくてもいいよ。」という兄の子。それを真に受ける
馬鹿な兄嫁。
『おせち料理には一つ一つ意味があるんだよ。だから
食べるの。』と長女。(でかしたぞ!)
我が家は御節のほとんどを手作りする。
子供と話しながら。大変だけど彼女達が嫁に行った先で
恥をかかないように。(嫁に行くかどうかは別として。)
学問も大切。知識や教養が付けば選べる道が広がるから。
大学に行けたのに行かなかった私は今この年になって
ちょっと後悔してるから。
それよりも今日本の教育で必要なのは、心を豊かにすることじゃないかな。

Hbar 1/6
mama-iyaさんがサークルに心の豊かさについて投稿して頂きましたので書きます。

おせちを作って心を豊かにするんですね。
これは良い事ですよ。

何か一つの対象があって、それの意味合いを掘下げる。それによって心が深くなるんですよね。

算数を解くというのも一緒なんですよ。
目の前に問題があって、それを解き解すのが算数です。
文学と数学は詰る所、一緒なんですね。

文学というのは、文の論理性で文章を連ねていく訳です。
その論理性を繋ぐのが心の豊かさですよ。
数学は、論理性を使ってより深い本質を探ろうという学問です。
車の両輪なんですね。

大切なのは先入観だけで決め付けない事だろうと思います。
先入観というのはやっかいで、それしかないように我々を縛ってしまうんですね。

その先入観を除ける為に学問をする訳です。
お釈迦様は全ての苦しみは執着から来ると悟って「拘るな」と説きました。

執着を無くせば豊かな心が広がるという訳です。

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内 容 ニックネーム/日時
教育とは未成熟な構成員に対する自立能辱醸成支援策との、国家社会諸制度の一形態です
従って、「教育の本質」を論じるためには、国家行動規範である憲法の、前文・13・25条の定める国家社会制度の目的である「国民各自の健康で文化的な生活実現手段」であることの理解が必要です 国民各自・全体の向上発展(公共の福祉)には、所属未成熟な構成員の共同社会での自立・貢献意欲の醸成が不可欠だからです 懸かる理解の無い教育論は、目的の不明確な机上の空論に過ぎません 教育とは哲学等の主張がその典型です 教育論は社会科学論の一部としての、論旨整合性が必要です
A・K(アック)社会制度存在意義研究所
URL
2007/05/26 17:26
国家行動規範である憲法の、前文・13・25条の定める国家社会制度の目的である「国民各自の健康で文化的な生活実現手段」が教育であるとの論旨には賛成しかねます。この前提条件をも含まねばならないという主張を持ちます。現代社会のありようを見れば自明の理です。ここを外しているから何を議論しても空回りになってしまうのです。
hbar
2007/05/28 12:33

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