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<<   作成日時 : 2007/01/24 20:47   >>

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サンタさんへ、お願い
2006/10/26〜2007/1/20
donatadeshoka 10/26
年末が近くなり、すぐにクリスマス。虐待を受け餓死した子供の、サンタさんへの願いはなかったのでしょうか。食べ物が豊富にある日本で、あわれにも、また惨めにも、幼い子供が餓死していく事実。やり切れませんねえ。子供たちの心の叫びを詩にあらわして見ました。『海ヶ丘の地蔵さん』『かあさん、ボクのお願い』『サンタさんへの、お願い』『かあさんの雲』

Hbar 10/26
サンタさんへお願いとは、旬のテーマですね。
躾という言葉が独り歩きしています。何を躾るのか分っていない躾の出来ていない大人達の暴走が続いています。
本当は躾なんていらないんだよね。ちゃんと環境さえ整えてあげたら子供は自ずと順応していく者です。
先日、テレビを見てると、生まれた直後が順応力が高いんですってね。で、リセットしながら環境に合わせてくるんだって。生後八ヶ月位が大脳の働きが一番活発なんだってね。「何を教えるか」は大人の教育論です。子供には環境を与えるだけで十分と認識しましょう。

Hbar 11/4
飯大蔵さんのバイオエタノールとFTAの未来は明るい。
超臨界流動という最先端技術で間伐材からバイオエタノールが実験段階ではありますが、生成に成功したようです。
結構、未来は明るいと思います。

Hbar 11/8
飯大蔵さんのフセイン元大統領に死刑判決ではもっと切込んで欲しい。
米の何がという本質論に迫って欲しく思います

Hbar 11/8
飯大蔵さんのNHKへの命令放送については多分、報道の自由に対するマスコミの抵抗なんだろう。ブログ見なければ知らない事です。

Hbar 11/9
donatadeshokaさんの 詩を歌う 銀河への手紙 光は彷徨だと思います。
ご自身のDNA及び意識の中にお父さんは居るんですから、他に求めなくって良いと思います。本当に居るんだと詩って欲しい。

Hbar 11/12
松田優作に思うことは一度彼を分析しなければという事です。
そこで初めて、親父を子供達に伝えられるんじゃないのかなあ。子供達も教育を受けて一人前になったはずなんだけど、親父しか真似する人がいないんですよ。でも、親父もやさしいだけだったり、人生を乗り切っていくのに本当の中身が理解できないのだと思う。是非、分析して子供に教えてあげると良いと思います。

Hbar 11/12
秋の空って良いですね。女心は欲情を顕したものですけれども。
吸い込まれる青空には、何ものをも洗い流す強さが有ります。思い起こして、無駄な情念を捨て去りたいものです。しかし、お金儲けは、思わなければ人類の発展は無い訳で、それがあるから科学の進歩もあるのです。否定からは何事も生まれません。これからの若者を考えると、どう肯定してあげるかという事が我々大人に課せられた使命と思います。

八王寺だより 11/12
「何とかと秋の空」、原典は「男心と秋の空」だったようですよ。それを、男どもが勝手に「女心」と言い換えたようです。自分でも思い当たりますが、男心も当てになりませんね。
 確かに人間の欲望が社会を進歩させてきたのですが、退廃も生み出しています。金儲け第一主義に対する反省も必要だと思います。

Hbar 11/12
大辞林で引くと男心(女心)となっていました。さすが、国語専門と言う事で脱帽です。
でも、礼節であるとか作法と言うのは成功者の為のものなんです。帝王学というのも、そうしないと為政が巧く出来ないので出て来た論理です。
お金を追っかけて、その末にどうすれば巧く維持できるかという手法なんですよ。だから欲を出して、成功するのに帝王学を学んだ人が勝ち残ります。金儲け第一主義が初にあって、次に正義が出て来るんです。それを軽視するような発言ばかりしているから社民党や共産党が不人気の所以です。

Hbar 12/2
雪国の冬は辛そうですね。でもサンタさんには雪が無ければ似合いません。何か持ってきてくれるのも雪と共にと思えば詩情も湧こうじゃありませんか。

八王寺だより 12/2
ありがとうございます。ぼやいているより、詩情を楽しみましょう。

Hbar 12/9
ホームレス支援事業の問題の鍵は再教育にあるでしょう。時代に適応できず、ドロップアウトした訳ですから適応できるようにして送りかえさなければ、やっぱりお荷物です。そこらへん政府わかっとんかなあ。

Hbar 12/9
色々愚かしい事やってるね。開戦の日は巧くやったけど後が駄目だね。八木アンテナだって日本で開発したのが米国が使ってミッドウェーだもんな。一つ良い事すれば四つ悪い事するのが官僚なんだよな。

donatadeshoka 12/13
イジメによる自殺は、まるで流行するスポーツのような感覚で、行われているような感じがします。命の尊さが分かっていない子供たちに、大人がどう説いたものか、永遠のテーマでしょうねえ。ところで、私事ですが「詩を歌う」は、「戦場のクリスマス」を以って終了します。五ヶ月の間、読んでくださいました皆様にお礼を申し上げます。本業が忙しいので、悪しからず。また、新しく発表するつもりですから、そのときはよろしくお願いします。皆様には、良い年を迎えることを切に願うしだいです。   光

Hbar 12/14
かきいれですね。良い正月を迎える為にも頑張って下さい。お体を大切にね。

Hbar 12/25
そういえば昨日はクリスマスイブだったんですね。盆も正月も無い生活をしている僕にとってイブだって特別じゃないんです。インターネットのお陰、皆さんのお陰と感謝しております。

Hbar 12/26
二つのお子さんがサンタがやって来た^^と喜ぶ様は至福そのものですね。羨ましい。

Hbar 12/26
二つの我子と共にお散歩なんて良いですね。あんまり絶好調すぎてこけないでね。ご先祖に感謝する事も忘れずに。お墓参りとかね。

donatadeshoka 2007/1/4
新年明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。今年は詩を歌う、ではなく、わたしが異邦人として過ごした遠い南米での思い出を、Essayで書いてみたいと思います。南米はスペイン語、ポルトガル語、そして先住民族インディオのグワラニー語が主で、英語は全く通じません。その中で、若き異邦人だったわたしは、案外たくましく生きてきたと自負しているしだいです。現代の南米は車社会が進み、公害がひどく、ジャングルも少なくなり、そこに生息する動物も絶滅危惧種に指定されるほどになっていて、淋しい思いがします。

Hbar 1/5
色々な想いが垣間見れるのはサークルを主催した喜びです。楽しみに致しております。

donatadeshoka 1/14
新年早々、柔らかい話しをしようと思います。青年の頃の、ありそうで、なさそうで又ありそうな話し。

donatadeshoka 1/20
またまた、柔らかい話をしようと思います。ちょっと柔らかすぎるんではないかと、心配しているんですが。


食育
2006/10/25〜2006/12/25
Hbar 2006/10/25
我が日本は、温帯にあって山海の恵みに富み、本当に幸せな民族だと思います。
それ故に、大陸から文明が渡って来るまでのんびりとした縄文人たちが居たのだろうと想います。
食べ物は人夫々、お好みも違いますし、様々なお考えもあると思います。しかし、今文明の転換点を迎えて、我々の食文化は大きく舵をきろうとしています。後進に千数百年かけて出来上がった日本の食文化を託すという大きな仕事が残っております。
色々と、ディスカッションして頂ければ幸です。

Hbar 10/29
首藤さんの短歌随想(老いの徴候)は少し早すぎる。
食物摂取による体の元気を養われては如何かと思います。
老化には、一般的にビタミンB群とEにアミノ酸摂取がよいようです。今からなら蜜柑ですね。それと極力胡麻を料理に取入れる。欠かせないのが、蛋白質です。美味しいものを腹六部で食べましょう。
目の疲れには、赤ワインをグラス二杯飲むのがが良いようです。
赤ワインには、フレンチパラドックス(心臓病予防)・リザベラトロール(血管を拡張させ高血圧予防)・プロアントシアニジン(抗酸化作用によるコレステロールの酸化予防と体内のコラーゲン【軟骨・靭帯・骨等に含まれる】・血管・視力の調節機能を強化)三種のポリフェノールを含んでいます。
確り食べて、飲んでこれからの人生を積極的に生きましょう。

八王寺だより 10/29
ご心配いただき、恐縮です。2年前、高脂血症で保健師さんに食事指導を受け、いろいろな食材をバランスよく食べるようにしました。毎日のウォーキングもやっています。1年間努力をして、血糖値は正常に戻っています。体の状態は実年齢より若いと言われましたが、70歳という年齢はやはり老人です。

Hbar 10/29
70歳では、老人といっても序の口です。
私が六年前から懇意にして頂いている老人は95歳です。その方は80歳になってから趣味を新しく一つずつ毎年チャレンジされています。どれをとっても秀でています。コツの掴み方を会得されているんでしょうね。70歳で年寄りと言うのは早すぎます。

Hbar 10/30
首藤さんの短歌随想(苦い酒うまい酒)を見て私は嬉しくなってしまいました。実は私も酒好きなのです。流通業を二十年やってましたが、その二十年以外は酒を飲めないという理由で車にも乗りません。便利と言うだけで乗っている人の事故の多い事。運動神経の鈍い私は廃業と同時に車に乗るのも止めました。
現代社会は言葉に頼ろうとしすぎています。
「何を教えるか」というブログにしても、言葉で表現しています。人間は、言葉を読めば分かったな気になり、解ってもいない言葉で人を説得しようとします。本当に解っている事は背中にそして生き方に出て来ます。
ここに人生を長く経験した高齢者の役割があります。
現役の時は、言葉に頼らず只只管しゃむににやる他ないのだと思います。言葉は深遠なもので、本当のギリギリの体験を数限りなく積んでこそ出て来るものです。
私もまだまだ勉強中です。

八王寺だより 10/30
酒好きは悪くないですが、酒に強いというのは考え物です。少しのお酒で気分よく酔える人は幸せです。私はいくら飲んでも酔えないので、不経済です。飲み会で後始末をする羽目になるので、損ばかりしていました。

Hbar 11/2
四例も写真入で朝食を紹介されている、さすがおババさん真打登場ですね。四つの食問題ーー怖い、不安、遅い、腹立たしいとして取上げられていますが我々の食生活に大きく関与しているので活発な議論あって然りでしょう。叩き台にして議論したいものです。

八王寺だより 11/2
六十路さんの提言は、重い内容です。首相以下、全国民が真剣に考えるべき問題です。

Hbar 12/21
日本人の頭脳を造った畑のお肉として枝豆・大豆は貴重な蛋白源です。加工品も多く、味噌醤油から始まり、納豆迄の醸造品・豆乳に絞って加工する豆腐や湯葉等・その他黄粉というように食卓を飾ります。

八王寺だより 12/21
大豆が健康食品であることが見直され、消費が拡大しているのはうれしいことですね。しかし、その圧倒的な量が、輸入だというのは残念です。

Hbar 12/21
輸入だけれども、日本の知恵で運用しているんですよ。

Hbar 12/22
冬にお馴染のお汁粉は餅と小豆で作られます。子供もお年よりも喜ぶ餡子の材料です。お萩・柏餅・桜餅・餡入り餅等よだれの出てくる人は多いでしょう。私はアルコールの方が良い。

八王寺だより 12/22
私は、両刀遣いで、お酒も好きですが、甘いものも好きで、アズキにはずいぶんお世話になっています。お正月には、お餅に餡を掛けていただきます。高松では、餡を中に入れた丸餅が普通だったのですが、新潟では、短冊形の切り餅を煮て、それに甘く煮た小豆を掛けて食べるのが普通のようです。

Hbar 12/23
お国柄なんですね。地方毎に食べ方が違うのは何箇所も住んでみないとわからないですね。

八王寺だより 12/23
香川県では、お雑煮に餡餅を入れると言われていますが、私の幼い頃、そんなことはしませんでした。父が愛媛県の出身だったからかも知れません。テレビで見ると、讃岐の餡餅お雑煮が紹介されていますね。どんな味か、想像もつきません。

Hbar 12/23
煮豆に使われるインゲン豆は白インゲン・金時・うずら豆・虎豆等お馴染のものが多いですね。

八王寺だより 12/23
健康に暮らすことを、マメに暮らすと言いますが、豆というのは健康にいい食品なんですね。

Hbar 12/24
豆の調理加工は日本の食文化の宝です。

Hbar 12/24
真言密教では世の中の塵芥に至るまで仏です。あの輝ける雪は疎ましとは言い過ぎでしょう。無論、曇天や雪かき、それに大雪災害と負の部分もあるでしょう。しかし、雪のお陰で新潟の米や水は言うに及ばずそれを原料とする清酒も格段に美味しく、閉じ込められるお陰で保存食が美味しいという事実に目を向けましょう。

八王寺だより 12/24
新潟県人は、大雪に困りながらも、雪が降らないと寂しいのです。「無からばさびし」です。

Hbar 12/25
悪女の深情けと一緒ですね。

Hbar 12/25
インターネットで見たら赤穂浪士はナタマメの味噌漬けを食して滋養をとったそうですね。毒が強い代わりに様々な薬効も多いらしいですね。

八王寺だより 12/25
ナタマメは、ほとんど漬け物になっているようです。豆類は植物蛋白を多く含み、健康食品ですね。

Hbar 12/25
福神漬けですね。味噌漬けにでもして健康食品で売出した方が儲かるんじゃないかなあ。



警察官の自殺
チャ−リー 2006/11/8
元刑事のチャーリーです。最近若い警察官の自殺が増えています。OBとして不安です。ご意見・一言ある方、聞かせていただきたい。

Hbar 11/8
この掲示板をよく読んで下さい。
これも教育の問題に他なりません。
「何を教えるか」に出て来る秋山好古だったら自殺なんかありえませんよね。よく読んで下さい。答は必ず見付ります。



虐め・自殺
Hbar 12/21
何とも傷ましい話だ。これは「いじめ」なのか:空自隊員自殺というのは。それにしても20代後半にもなって自殺をするというのには日本人の人格力低下を危惧する。自衛隊ですらなのだから、一般国民は如何ばかりか。ここにも教育の大きな課題が待っている。

Hbar 12/26
虐待というのは連鎖なんだから、虐待から子供をどう守るのか?という叫びにはその連鎖を断ち切らねばどうにもならない。これも学習指導要領の問題でしょう。自身に対する認識の基礎を先ず教えねばと思う。

Hbar 1/14
人が死ぬことが戦争の悲劇なのかという問い掛けに対し、戦争を起すのは虐めの延長線上にある事を重視せねばならない事だ。



優しさ
2006/10/17〜2007/1/13
Hbar 2006/10/17
首藤さんの短歌随想(オリンピックよりパラリンピック)から障害者に対して情を同じくするという事にきづかされます。同時に目標を持てば、人格形成に大いに役立つものと再認識致しました。
小学校の時から自身を見つめる事のできる教育であらねばなりません。現在は、知識優先でテスト、テストの毎日です。
自分達は人間なんだ。その人間にできる事を確り認識させる事を最初の教育目標としなければなりません。看護婦になろうという生徒は、患者と向き合う教育を受けています。受けなければ実務ができないからです。
総理大臣は所信表明演説で、知識を優先するように言っております。奇麗事よりも、人間の本質を勉強して貰わなければ政治を任せられません。しかし、他の政治家も同様なのだから、文部省による指導要領の拙劣さに愕然とします。政治家もそれによって、大人になったのですから。
そういう指導要領の基、教鞭をとらねばならない先生方のご苦労もよく分ります。

Hbar 10/19
首藤さんの短歌随想(生徒側に身を置く)は仰る通ですね。
元々は、人間はそう教育しなくても巧く生活できるように造られています。生後一年でみよう見真似で二足歩行やコミニュケーションがとれる事がそれを証明しています。
江戸時代までは、親の背中を見て育っていれば親の職業と同じ仕事がやれました。ペリーの来航で当時の知識人が動転してしまったというのが現在の禍根の大本のようです。明治政府は、その動転を受けて文部省を創生し、今の教育制度の基礎を築いたといえましょう。
国家の為にというのは私は結構な事だと思います。人間は社会的な生き物ですから、その帰属する社会が発展する為に働いてこそ自分のみならず家族も幸せに出来ます。
只、社会のあり方が問題なのでしょう。政治の責任は重く思います。北朝鮮のような政治をされると国民は貧しさに耐えねばなりません。
教育は、これから新時代に否応無しに入るでしょう。何しろ仮想空間が大きな実態を持つ社会なんですから。運用力を付けなければ、一億総おちこぼれになってしまいます。そこらが文部官僚はぬけているんだなあ。

八王寺だより 10/23
詩 おふくろ  首藤隆司

この世で一番強いもの
それは やさしさ

やさしいから強い
強いからやさしい

おふくろを見ていると
そう思う

Hbar 10/24
詩って良いですね。
心を表現するには論理では難しいですもんね。
自分の感情を出そうと思うと歌が一番かなと思います。
その点、子規は短くって苦しい障害でしたけど他の人の何倍も生きているような気がします。

八王寺だより 10/24
この掲示板が、優しさというテーマなので、昔書いた詩を思い出して、載せてみました。私は、生徒にたいして「優しさ」で勝負してきました。「優しさ」だけで十分やって来ることが出来ましたよ。

Hbar 12/7
電車にて感じる事は人夫々ですね。
優しくするという付けが副作用として今の日本を象っているんでしょうね。何事にも長所しかないものは少ないようです。よく見極めて教えるカテゴリに入れねばなりません。どもう優しさ・夢・愛というように耳障り中心に言葉選びしているのを自戒。

Hbar 12/7
おババさんの書かれたいじめーー私たちはこう考える (高校生の証言)を読んで今の高校生の確りしているのに安堵致しました。言う通で、大方の高校生には自身の自覚が大切という事が分っている。分らないのは官僚ばかりなりと想いを強くさして頂いた一文でした。

八王寺だより 12/7
なによりこの証言が貴重なのは、これが当事者の高校生の現場からの証言と言うことです。評論家は、空論をやっていないで、高校生の証言をふまえて議論をしないと、実効のある解決は出来ないでしょう。
大人が、子どもたちの幼い頃から、社会的なエチケットをきちんと教えることと、テレビが、一部の若者の困った風俗をおもしろがって報道するのをやめることが望まれます。若者達は流行に敏感なので、都会で流行していると勘違いして、すぐ全国に悪弊が蔓延します。

Hbar 12/7
憎まれっ子世に憚るという言葉がある位で、悪弊ほど流行りやすいのが現実です。テレビに罪を被せるのは酷でしょう。理想をモデリングしたのが仏教であり儒教です。このやり方しか子供のしつける方法はないのではないかと考えます。現在のやりかたは切れ切れのテクニックのみを教えているから駄目なのでしょう。虐めにあれ程の卓見を示せる子供達なのに。

Hbar 12/14
本当の育みの場を持てなかった大人達が子育ての環境を造っています。
これも戦後の核家族化のせいなんでしょうけれどもそれに対応できなかった、対応を考えようともしなかった学習指導要領の責任でしょう。

八王寺だより 12/14
昔の親は、大家族、大勢の子ども、近所の子どもたち、近所の大人たちに、子育てを助けられていたのでしょう。今の親は、誰も助けてくれない中で、子どもと向き合って、どうしていいか分からなくなっているのかも知れません。

Hbar 12/15
そういう事でしょう。これに対応できる能力を持つのは行政のみです。この案件に関していえば文部科学省ということです。それで口を酸っぱくして学習指導要領を扱下ろしています。

八王寺だより 12/15
どうしようもないイライラが、児童虐待になるのでしょう。子育て支援対策を急がないと。

Hbar 2007/1/13
イライラが起きる原因は自身を知らない事にあります。知ってればそれを受入れ、その中に我子も受入れえます。それを教育するのが最優先であるのに知識の詰込しかしない学校教育を見直すのが一番です。

Hbar 1/13
避けて通れない独り身の老後を豊かにしたい。その為の家族への奉仕なのでしょう。




登校拒否
2006/9/28〜2006/11/28
Hbar 9/28
首藤さんのブログ短歌随想の記事は登校拒否生徒に対する温かい先生の姿を彷彿とさせるものだった。
登校拒否というのは、大きな社会問題であり、現役教師を悩ませる最大の問題であろう。
五十代になって、その問題と立向う事となった首藤さんのご苦労いかばかりかと想いを馳せる次第です。
現在と昔では子供に対する家庭のあり方に大きな違いがあるのが最大の原因であると考えます。その違いは大家族にはその大家族を支える一家の大黒柱たる家長が居た事が大きいでしょう。
高度経済成長と共に家庭の核家族化が進み、大黒柱の役割を果たさねばならないのが二十代になってしまったのが大きく思います。大黒柱をしなければならないし、労働力として経済も担わなければならないのに過重であるのは否めません。
大家族時代の家長は、労働力としては卒業若しくはチームの統率者であり、財産の管理者であった。一番の役割は背中を見せる事であって、大勢の家族がその人生の甘いも辛いも酸っぱさまで知り尽した背中を見て、安心して自身の持分を全う出来たのでしょう。
しかし、現代社会システムが機能している状態では、昔の家族制度は夢物語です。単身赴任が問題になる位ですから。
社会システムとして、そこを担うのが教育にならざるを得ないという結論が大前提にあって、「何を教えるか」を書いている次第です。
皆様の熱き議論お待ちしております。

Hbar 9/28
登校拒否にテーマを持って来れば、投稿があるかと思いましたが、中々投稿というのは難しいものです。
身近に、登校拒否が居そうなものですが、私の周りでは聞きません。そういう家庭は外に向かって発信しないからとは思うんですが。
その点、教員経験者はあれば確実に接しますからご存知なんでしょうね。色々と、ケースを教えて頂きたいものです。
単純に、人間理解ができないのでこういう状況になるとしか思えません。
一目で、わかる為には背中なんですね。
はやく書上げたいけど、相田を縫って書いているんだから仕様が無いか。

今日行く!教育! 9/29
「登校拒否」と「不登校」では言葉のニュアンスが違うと思います。 つまり「行きたくても行けない子」も居れば、「ただ行きたくなくて行かなくなる子」も居るということです。 仕事柄、出会った不登校の子供の数は30名を超えますが、以前はイジメや人間関係など「理由」が明確なケースが多く原因を排除することで早期復帰できる子がかなりいました。しかし最近では明確な理由がはっきりしない子供達が多々見うけられます。不登校の期間が長くなればなるほど復帰が困難になりますが理由がはっきりしないことには前に進みません。
行きたいのにいじめられるから行けない…と言う子
なんとなく行きたくないから行かなくなった…と言う子
後者に関して言えばそれを安易に容認する環境にも問題ありだと思います。

Hbar 9/29
なんとなくと感じる方が大問題です。
子供は、支障がなければ学校に行くのは大好きなはずです。その証拠に小学校一年生の子供に「勉強好きか」と訊ねると、全員「好き」という返事が返ってくるのが何よりの証拠です。
「なんとなく」派は、心の奥に必ず大きな石ころを抱えているはずです。それを環境といってしまえばそれまでなんですが、それを究明しなければこの日本の将来は大変な事になります。具体例を教えて頂ければ、一つ一つ見えて来るものを特定していきたいものです。
もし、今解決に向けうる事例があれば一番良いのですが。

六十路独り言 9/29
登校拒否についてただ今「六十路独り言」に書き上げました。こちらに書かないと又、お叱りを受けるかも知れませんが、長文ですし、サークル以外の方にも読んでいただこうと思いますのであしからずーー 母、祖母として、息子、孫息子の場合の経験を書き、子供たちが学校生活に根を張ることの大切さ、そのためのヒントなど書きましたのでご一読下さい。

Hbar 9/29
おババさんがブログに不登校 生徒に根を張らせようというご自身も含め体験談を書かれています。
さすがはドラゴン、中々並ではないと感じ入った次第です。その背中があればこそ軽微に終わったのではないかと推察致します。
小学校の一年生で朗読が得意とは。おババさんも素晴らしいご両親の背中を見て育たれたんだろうと、一目も二目もおいてしまいました。
この背中と表現しているものを、誰も教えなくなっているのが平成の世です。これはいかんと書き始めたのが「何を教えるか」の本体に他なりません。
平成の親はおろかジジババまでも顔に化粧をして、金の使い方も知らずに馬鹿な使い方しか見せません。これは大変な事態だと思い、ない知恵を絞り今の時代に相応しいメソッドになればと思い書いております。
しかし、サークルとは良いもんですね。自分をどんどんふくらましてくれる。感謝、感謝。

Hbar 9/30
昨日の「今日行く!教育!」さんのブログ「鬼のような父親」の教育方針に「?」に『躾は、背中でしかできない。これが鉄則です。
顔に化粧をし、前頭葉を駆動したものが口から出る度に離れていくのが心です。
このお父さんは、今日行く!教育!さんと同年輩なんでしょ。
子供の為を思えば、ちゃんと絵図を描いて話をしてあげると良いと思います。その時に一番大切な事は、相手の気持を汲むことなんでしょう。
サークルで議論すれば、「八王子だより」さんも「六十路独り言」さんも高校の先生の経験者ですからそれなりの見識を示してくれると思います。』という書込みをしました。
昨日の早朝に「今日行く!教育!」からあった書込みがこういう事が数重なった経験からきたものなんだなあと思った次第です。

今日行く!教育! 10/2
書き込み遅くなりましたが…。
僕は30代後半、「鬼のような父親」は確か51、2歳の方だったと思います。僕よりかなり年上の方です。
「躾は背中で…」仰ることはとても良く解ります。
して見せて、教えてやって、させてみて、褒めてやらねば…
仕事柄、20代から50代の保護者と接します。
が、最近特に感じるのが僕から見て、若ぞうであってもとてもしっかりしていて感心させられる奴もいれば、年ばっかりくっていてど〜にもならんようなおっさんおばさんも決して少なくないと思うのです。
つまり一概にその人の年齢だけでは語れないところがあると思います。 ココのテーマでもある人格形勢とは「何年生きたのか?」ではなく「どういう環境でどんな生き方をしてきたのか?」ではないでしょうか。
子供に背中を見せなくてはいけない親に問題がある時は、誰がその親に背中で教えればよいのでしょうか?
今回、登校拒否のテーマに参加させて頂き、また人生の諸先輩方に対し恐縮でもありますが不登校も非行も子供自身に問題のあるケースは極めて少なく、どちらかと言えば人格形成されてない親に問題があると感じます。
子供達はまだいい、純朴だから。しかし長き年月を生き、凝り固まった親の人格を修正するのはかなり困難を極めます。
原因が親にあってもどこまで、どの様に関与すれば良いのか…正直悩みます。
サークルの皆さんのように「人格」を語れる親ばかりならどんなに子供達は幸せかと考えつつ…。

Hbar 10/2
「何を教えるか」の「人とは何だ」で詳述しているように、人間は縁に従って三毒を身に着けています。ですから、三毒は年齢を重ねるほどに厚く身に付いていると考えられます。
これは、縁に従ってというように自身が納得のいかない仕打を受けるという縁が三毒を身につけさせます。
今朝、高校生の少女が八十九歳の老人から千数百万円恐喝した事件を報道していました。主犯格の少女は、中学時代に虐めに合って不登校になり、友人欲しさにこの犯行に及んだようです。この場合、虐めと友人欲しさというご縁によって犯行に及ぶほどの三毒を身に着けたと言えましょう。
ですから、その親御さんが夫々の人生において様々なご縁によって三毒に穢されて「今日行く!教育!」さんがお金貰っている相手から根掘り葉掘り聞く訳にはいかないでしょう。ヒントにはなると思います。
唯、「人とは何だ」で書いておりますように、人は皆真実の自分、詰り第九識を持っております。そこに向けて話ができるように勉強していく事が最強の家庭教師への道なのでしょう。それは親に限らず子供にも通用します。子供が意欲を持ち、その意欲を持つに至った目的を適えるべく学習するでしょう。
この「何を教えるか」の最終章においてその何たるかを書こうと思っております。そして、文部省が何を為すべきか迄言及する予定です。分っているなら今書けば良いと思われるかもしれませんが、現代人に分るように書くには説明が必要です。

八王寺だより 10/2
今日行く!様
仰るとおり、年齢だけでは語れないのです。「どんな環境で、どんな生き方をしてきたのか?」なのです。そして、大人になってしまった人を変えるのは、至難の業です。子供はまだ柔軟ですから、変えることが出来ます。大人については、自分で気がつかない人は放っておくしかないと私は思っています。自分が困ったことにぶつかったら、変革のチャンスです。例えば、子供が非行に走ったり、家庭内暴力や閉じこもりになったとき、親が変わるしかないところへ追い込まれます。将来の無限の可能性を持っている、子どもたちの教育にエネルギーを注ぎたいと思っています。

Hbar 10/2
仏教経典には大抵の具体的な解決策が数多く、それも事例を示して書いてあります。唯、現代人には中々その言わんとする事を解説書を少々読んだ位では理解できません。
大概、身の中でこなれるのに二十年位は掛るのが普通です。私も般若心経の解説書は二十台の後半でしたが、その時は他人に対して分ったような事を受け売りで言っていたものです。恥ずかしい限りです。十数年唱え続けてやっと文字が浮び上ってくるのです。こうなれば、浮び上ったものだけは使えます。それで最後かと思えば、年月を経て次々と浮かんで来るのです。今位、分るようになる迄に二十数年経過しています。時間が必要なのでなく、実際のご縁と経験が文字を分らしてくれるのです。
何回か読んでも中々実用に使えるよう頭に入るには中々大変です。でも、やらなければ一歩にはなりません。

六十路独り言 10/2
「子供に背中を見せて教える」大切なことです。しかし、今の世の中見せる背中は持っていても、見せる時間を持たない親が多いですね。父親について言えば、朝食も子供と一緒に食べないで、朝早く出かけ、寝た後で遅く帰ってくる。母親にしても働いていれば、夜ご飯さえ、一緒に食べることが出来ない人も多くいます。「今日行く!教育!」さんがお書きになった父親は構い過ぎが虐待に近づいた父親ですが、反対のネグレクト気味の親たちも増えているのです。背中で教育するとは言うに易く行うに難い名言です。
「親の問題がある」「親が変わるしかない」その親を育てたのは戦後の教育です。何処がいけなかったのか、戦前の教育との比較検証論になるでしょうし、私にはそこまでの見識もありません。ただ思うのは、子育てというのは本当は野性的なものだと言うことです。なのに、小難しい理想主義の教育論、建前論、とってつけたようなヒューマニズムがはびこって、親を教育した親や教師が、自分の育て方、教育の仕方に自信がもてなくなり、確固としたものを持たないで、育ててしまったことにも原因があるように思います。  親に変わってもらうにはどうすればよいか?手っ取り早い方法はPTA、市民講座などで、講習会などを開き、研修の場を提供するとでしょうが、私の経験から見ても、本当に加わわって欲しい人たちには、参加する意志も時間もないことが現状です。そうだとすれば、これはもう、自分の吐いた唾を自分で受けてもらうしかない。親が自分の子供の問題に、自分で直面してもらうしかない。直面すれば、否応なく考え、行動もするでしょう。経験することで学んでもらうしかないでしょう。ただ大切なことは、その場合の親の駆け込み寺、相談施設をしっかりと完備しておくことです。親の学びをさせる、手助けをする手だてが必要です。  子育ても教育もしてやるもの、与えるものであると思われがちですが、本当は、同時に、それを通じて親も教師も教育され育てられるものなのです。三人の子供が独立し、それぞれ家庭を持った今思うことは、結婚し、三人の子供を育てたことで、色々あったけれど、おかげで自分一人の人生だけでなく五人分の人生を活きることが出来た」と言うことです。

Hbar 10/2
短歌随想(お爺ちゃん教師)を首藤さんが書いておられます。
僕の見解は、年取ったからと言う首藤さんのお考えと少し異なります。人は鏡とよく言われます。雅に、若かったから、議論が先に出たので、年をとったから人生経験の積重ねで相手の事が良く理解でき、手の内に居る相手に対して寛容になります。
昨日「人生」で書いたが如く、触れる宴が多くなるごとに学習し、他者に対して異なる態度をとるものです。
先輩の先生がそういう事を現場で後輩に教えれるようになれば児童・生徒に対する接しようも違ってくるのではないでしょうか。
家庭教師が親に対して、気付きを求めるのもそういう観点からしてあげる事ができればと思います。その為には、自身に対する勉学が必要でしょう。金儲けだから頑張るべきだね。

Hbar 10/4
短歌随想(お爺ちゃん教師)を首藤さんが書いておられます。
僕の見解は、年取ったからと言う首藤さんのお考えと少し異なります。人は鏡とよく言われます。雅に、若かったから、議論が先に出たので、年をとったから人生経験の積重ねで相手の事が良く理解でき、手の内に居る相手に対して寛容になります。
昨日「人生」で書いたが如く、触れる宴が多くなるごとに学習し、他者に対して異なる態度をとるものです。
先輩の先生がそういう事を現場で後輩に教えれるようになれば児童・生徒に対する接しようも違ってくるのではないでしょうか。
家庭教師が親に対して、気付きを求めるのもそういう観点からしてあげる事ができればと思います。その為には、自身に対する勉学が必要でしょう。金儲けだから頑張るべきだね。

Hbar 10/4
鏡の意味を書いてなかったですね。
人は、余程修養した人でない限り自身を客観的に見えません。座禅と言うのは、自分を見る事の出来る為の修行だと思います。
人の振りみて我が振り治せとよく言われます。対面していると、自ずと対面者の身振り素振を結構真似ています。ですから、対面者の欠点を見付けたら、自身の欠点と思ってもよいようです。
鏡の意味とはそういう事です。

Hbar 10/4
今日の首藤さんの短歌随想(褒め上手)は、教育のみでなく人と向かう時の心構えの一つでもあります。虐められっ子だった僕が登校拒否にならなかったのも当時中年の先生による誉め上手があったかも知れません。取り得の無い僕を誉めて貰えるという有難さが休まない事に繋がったのでしょう。
好きな先生が居れば、登校拒否にはならないと思います。誉めると言うのは、難しいですね。殊に、戦後教育で育っているものには尚更です。人を尊び、敬い、己を謙虚にするという教育がなくなりましたもんね。これも問題提起です。

Hbar 10/24
首藤さんの短歌随想(真面目を嗤う)が登校拒否を招く虐めの原因になっているとはと驚愕します。
縁に沿って一つの事を追求していくという態度は真面目でなければ出来ない行為です。ここにこそ、教師の背中に必要性を感じます。大学の教育学部では教師の背中作りこそ行わねばなりません。

八王寺だより 10/24
最近のテレビ番組では、ある芸人を寄ってたかって虐めることによって笑いを取るのが増えています。視聴者も、それを見て笑って、ストレスを解消しています。これがそのまま学校の虐めにつながっています。学校だけでなく、職場でも、社会でも、同じ現象が見られませんか。そのことにみんな気がついてほしいと思っています。
10月24日付「新潟日報」のコラム欄にいい文章が載っていましたので、転載します。
 教育再生を掲げる阿倍晋三首相がモデルにしているのが、1980年代後半の英国でのサッチャー流改革という。統一学力テストや学校評価制度の断行に、感銘を受けているようだ。阿部首相が著書で賞賛する「鉄の女」の改革はかなり過激だ。「統一核力テストを実施し、数千人の査察官を全国に派遣して国定カリキュラム通りに教育が行われているかどうかをチェックした。水準に達しない学校は容赦なく廃校にした。そういう学校に教師を送り出す大学の教育学部もつぶされた」。問題はこれだけの荒療治の結果が英国でどう評価されているかだろう。「教育を荒廃させた」との声が気になる。英国の改革では教育に「市場原理」も導入された。父母に学校選択権を与え、生徒の集まる学校に予算を優先配分するようにしたのである。がっこうが「勝ち組」「負け組」に分かれ、教育の階層化にゥつながったと英国在住のジャーナリスト阿部菜穂子さんは「世界」11月号で指摘する。経済格差拡大が同時進行する中で、上位校への富裕層の集中も進んだ。点数至上主義の弊害も心配されている。ひはんが強まる中で、ウェールズ地方では統一学力テストの廃止を決めた。5月に開かれた全英校長会総会では、書記長が政府を鋭く批判した。「政治家は教育を遊び道具にするのをやめてほしい」。拍手が鳴りやまなかったそうだ。「政府の言うことを聞いていたら、肝心の子どもを忘れてしまう」として、政府の授業計画の無視を「校長権限」で決めた小学校もある。校長権限とはこういう時に使うものかと驚く。この部分を阿倍首相は「モデル」にしてくれるだろうか。

Hbar 10/24
中々手厳しい評論ですね。
教える事の出来ない先生しか送り出せない教育学部は不要です。私の言う所の教えるとは、その児童・生徒が運用力を持たせるという意味です。国語と数学さえ学べば、後は個人の好みで進路決定をしてから学べば良いと考えています。
安倍総理の仰る学力・規律は運用力があれば容易くつくし、自ずと身に着くと思います。

スマイル 10/26
こんにちは!初めて書き込みします。小学校・中学校・高校と人間性に問題のある先生に関わってきました。大学を卒業してたいした人生経験もなしに、子供を教えていくことは、判断能力が足りないと言う意味で、無理があるのではないかと強く思います。大学卒業後2年から3年ぐらい企業などで働き、社会性や一般常識を身につけ、人の下で働き理不尽な思いもし、その後、教師になったほうがいいように感じられます。教育現場にはお粗末な先生が本当に多いです。先日の報道にもありましたが、父兄からの相談内容をクラスの子供たちに話してしまうと言う愚かな行動は、めずらしいことではないと思います。教育現場はどうすれば良くなっていくのか、いろいろなご意見を読ませて頂きたいと思います。

Hbar 10/26
要は、学問が足りないのだと考えます。経験も大切ですが、仮にも子供を教育する為に何を為すべきか、今の四年間の学士課程では無理なのでしょう。
余程、先生に恵まれ、凄い読書家でないと、先生と言う自覚ができません。吉田松陰は若くとも佐久間象山に師事し、立派な指導者となっています。学問をせず、大学とは遊ぶ所なりと履き違えた若者に教師が勤まる訳がないと思います。もっとハードルを高くし、聖職者として優遇すべきでしょう。

Hbar 10/26
飯大蔵さんのいじめを防いだ先生の熱意では、先生が登校拒否になったようだ。
知恵熱なんだろうね。それをお母さん方が支えて、虐めを防ぐ運用力と繋がったのでしょう。
このように偶発的に運用力が出て来るのは行政としては甘すぎると言わざるを得ない。システムとして運用力を教師に身に付けさせるようにしなければ、現在の荒廃の連鎖は止らない。

Hbar 10/30
飯大蔵さんの「学校側はいじめ認めた」を見て感じる事は、先生を再教育しなければならない事と感じます。教師と言う聖職者としての躾ができていないのでしょう。無くっても良い官僚としての立場が見えすぎるというのが今日この頃のニュースに出て来る先生達です。

Hbar 11/10
チャーリーさんは「勇気を出してプログで独り言・・・」についてで虐めは外国では無いんだろうかと言っています。米国なんか酷いもんです。先ずは人種差別に始まり、格差社会の極みです。様は、基本的人権等有って無きが如しです。米国でそうですから、他国はもっと酷いですよ。お人よしは日本だけです。
他の国では生きるのに必至ですから、勝ち抜く為には弱い者からぶんどっているのが現状と思いますよ。

Hbar 11/28
卑怯者しか虐待する事は無いんだね。自信があれば虐待なんてせずに、真にやりたい事だけ実行するのが人間です。

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