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zoom RSS 自閉症者に対する言語療法を考える

<<   作成日時 : 2008/05/04 15:52   >>

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講演では言語療法についてことばの教室等で行われているが、実施内容には格差が大きいとの事。


方々のブログを訪問して、読ませて頂くと言葉を教えるお母さんという印象が強い。
お母さん方は言葉の遅れに対して異常なほどの拘りを持たれているようだ。発達が遅れているのであるから、その遅れに応じて言葉に対する認識が遅れているのは仕方が無いと考えたい。

感覚統合療法の所で取上げたが、健常児でも話す能力,言語は5〜6才にならないと身に付かない。
それは視聴感覚以外の前庭・固有受容器・触覚感覚が育ち、話す能力,言語を覚えるゆとりを持ってから育つのであって、例えば身体が不安定で必死にバランスを取っている時にそのバランスを取るのを止めさせて言葉を教えようとしても成長に不具合が残るのみであろう。

聞えているのであれば発達障害児が言葉を発さないのは未だ準備中と考えれば良い。

子供達は指しゃぶり等の様々な発達段階において、言語を発すべく様々なリレーションシップ等、他の発達段階どうよう頑張っている事を知り温かく見守るべきであろう。
発達段階において、この指しゃぶりという動作でさえ自身の持つ手という実態を知る学習なのだ。初めは手全体をしゃぶるのだが、発達が進むに連れ中指、人差指、親指へとしゃぶる対象が移り数ヶ月かけて自身の手と言う存在を掴んでいる。

全ての発達がこういう確認作業から入り、指差し等の動作へと移行している。子供達の身体の中では見えないが確実にそれもたゆまぬ努力が続けられている。

お母さん方は健常児と同じ環境に入れて、例えば保育園等へ入れて育てたがっているように見えるが、自身の内部で必死に努力しているものを逆に阻害している事を知って欲しい。背伸びも必要かもしれない。それはもっと発達が進んだ段階で考えるべきで、指導しなくても出来る事が分れば子供達は自分から進んで色々チャレンジしていくものだ。


希望を持って、出したい口は抑えるように努力されたい。

只、子供が聞く段階になれば、段階を追って童謡を聞かせる事から始めて童話の読み聞かせを丸暗記する位に行うのはお勧めだ。そして、何回も読み聞かせた後、絵を描いてその持つ意味を教えれば良い。当然、喋れないから全く意味が通じていないように見えるが後になってそれが大きな意味を持つようになる。

言葉が出ない内はその程度でよいと考える。

喃語が話せて会話が出来たように思って満足するのは大人のみだ。
そのつけは後になって必ずやって来る。

話が出来るようになるのは少々遅くなっても良いのだ。
黙々と童謡を聞かせ、童話を聞かせて子供の無意識の世界に放り込んでやれば良い。


後で必ず収穫がやって来ると信じる。

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コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
私のブログにコメントをいただき、ありがとうございました。
この記事が私の記事への回答と聞き、拝見しました。

Hbarさんのご意見は、いつも論が通っている印象です。
私もこの記事にあるようなことを考えることがしばしばあります。
ただ、実際の関わり方はこの通りではありません。
私の本能的欲求と矛盾するからです。

母親になるというのは不思議なもので、ホルモンバランスから脂肪のつき方から、全て子育て用に変わってしまうのだそうです。
子供の泣き声は母親を居ても立ってもいられない状態にします。
子供を養育できるよう、そうプログラムされているからです。

確かに過干渉は子供にとって害です。
でも、困って泣く子を放っておくことは母親にとって苦痛なことです。
本能に反する不自然なことだからです。

息子は言葉を獲得する前、朝から晩までずっと不機嫌で泣いていました。
言葉を獲得してから目に見えて表情が明るくなり、笑顔が増えました。
これが害だったとは思えません。
卵畑
2008/05/04 17:56
続きです。

確かに、早期療育を騒ぐ風潮には、私も疑問を抱いています。
けれども、核家族が増え、現代はむしろ、昔は当たり前にあった人からの干渉が減っているのではないかと考えます。
母親1人が必死に関わったところで、10人家族が片手間でかまう度合いに比べれば微々たるものではないでしょうか?
その母親と1対1という閉塞された環境を補うための、園であり、療育であると個人的には考えています。

猫でも子猫に餌の捕り方を教えるし、カバも子カバを保育園に行かせます。
多くの哺乳類がしていることを、人間だけがしてはいけない理由は何でしょうか?
私がずっと引っかかっている部分がここなのです。
だから、Hbarさんの言われるようなことを数年の間度々考えつつ、答えが出ないでいます。
結果、直感で育児をするしかありません。
もし、この答えをお持ちでしたら、教えていただけないでしょうか?
卵畑
2008/05/04 17:56
卵畑さんようこそ。
やはり実際をお聞きすると、言葉を覚えて泣叫んでいたのがやまったと言うのは印象的です。
人間も哺乳類も一緒と考えます。しかし、人以外では発達障害では淘汰されるように思います。詰り、ミラーニューロンが活発に働かないようでは教える事も出来ないので淘汰される以外には無いでしょう。
それと現在の人間社会における発達障害児に対応しているのは極最近の現象ですし、哺乳類としては例外的なものと考えます。
人間の場合動物と比べると随分手を掛けています。詰り、哺乳類でもという疑問は当らないと考えます。
やはり言える事は様々な条件が整うまで欲張りをせず、ブログに書いてあるように童謡や童話の読み聞かせを中心にして見守るのが良いのではと考えます。
何故そうするのが良いかと言えば、無意識の世界に童謡や童話を叩き込めばそこで出てくる言葉は全て関連があり、言葉の関連付けに無駄がないからです。
それは明後日話題にするソーシャルストーリーに童謡や童話がなっています。
気長に見守って上げて下さい。
その間に教える事を学んで下さい。
hbar
2008/05/04 20:04

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