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ウィキペディアによると虐待は「自分の保護下にある者に対し、長期間にわたって暴力を奮ったり、世話をしない、いやがらせや無視をするなどの行為を行うことを言う。」とある。 これは1874年に発覚したメアリ・エレン・ウィルソン事件を切欠として社会的に注目されるようになり、日本でも虐めによる登校拒否事件等から注目を集めるようになった。 日本では昔、親や教師は鉄拳で子供の非を咎める風習があった。しかし、今では親や先生は子供達と友達のように振舞うようになり、それが却って子供達の学習を奪っているような気もする。痛い想いをしてこそ覚えるというのは太古からの鉄則であるが、暴力のみ否定して子供が悪に走るのに止められない現状は悲しむべきものだ。先日もTVでボランティアの人が暴走族を根気良く相手をして更正させる試みが紹介されていたが、ああいう善意は珍しく尊敬に値する。非暴力として現在もダライ・ラマが有名だが、チベット問題は政治的に利用はすれども真に力を尽くす国は無い。 暴力こそ力であるという最強が米国に他ならず、そこで何を言っていても信用に足るはずは無い。 中国がここ最近力を付けてきて、輸出入共に米国、ドイツに次いで世界第3位となって力が付いた事で実質を追求するようになっている。 自閉症児に対する虐待は悲劇しか生まない。 抑え込まれた時になるのが知的障害では無かろうか。 自閉症スペクトラムと綺麗な言回しをしているが、自身障害者の立場から身に聞くと環境次第と考える。 詰り、自閉症者に対する虐待は生き難い状態を押え込まれて、自然な発達さえ阻害されるように思える。 そして、知的障害者に対する行政の態度も虐待ではなかろうか。 伸びる可能性を押し殺した為に一生を知的障害者として生きなければならぬ人生は辛い。 ここでは、虐待・ネグレストが発達に悪い影響を及ぼし、その根幹に愛着の歪みを挙げる。 |
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| タイトル (本文) | ブログ名/日時 |
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広汎性発達障害(自閉症・アスペルガー症候群)
日曜日にこれに対する理解と支援という講演会が誘ってくれる人が居たので行った。 ...続きを見る |
よく考えよう 2008/06/02 15:12 |
| 内 容 | ニックネーム/日時 |
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hbarさんのこの記事を読むと、知的障害を伴う自閉症児・者の親は虐待をしている、と書かれているかのようにも受け取られますが、そのような読みでいいのでしょうか。 |
ネグレストの通りすがり 2008/06/02 16:39 |
非虐待者が虐待と受取られるものが暴力とは限りません。このように自身の立場を明確にせず揚げ足を取るのも虐待だろうと考えます。ご自身の立場をブログででも何でも明らかにされたら如何ですか。 |
Hbar 2008/06/02 18:00 |
> 自閉症児に対する虐待は悲劇しか生まない。 |
ネグレストの通りすがり 2008/06/02 22:29 |
ネグレストの通りすがりさん削除されてもコメントして頂き、有難う御座います。面倒でも最初からお立場を鮮明になさりコメントをして頂きたい。折角ネット巡回なさっておられるのですからご自身もご意見を発信して頂きたく存じます。私自身が情報発信を始めた真の目的は養育者が真の情報を持たなければ、真の解決には至らないという考え方からです。私が発信者として不遜であると同様に立場上仕方ない事としてサポーター及び養育者は自閉症者本人にとっては世話している立場だという事が見え隠れしています。私がそうであるように人間として弱い部分であるここの所が療育を歪めている患部と思います。その最大原因はこの障害を分らない事を前提にしている事だと感じております。初学者でありながら無謀かも知れませんが、それに挑戦しているのが私自身です。親に対する真のサポートは真実と一緒に向合う事です。逢えば私の熱い心も知って頂けますが、ネットでは限界があります。しかし、一貫した変らぬ態度で理解を得たく存じます。その場逃れでは一貫性は生れません。何時か分って頂けると信じております。 |
Hbar 2008/06/03 06:11 |
始めまして。 |
仲良く会話を 2008/06/18 04:28 |
仲良く会話をさんようこそ。 |
Hbar 2008/06/18 07:06 |
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