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自立支援法が出来て診断基準が明らかになるに連れて自閉症児を持つ親の立場は困難さを増しているかに見える。 人とのコミュニケーションが不得手な子供を持つ親の立場としては心境が複雑にならざるを得ない。 私の考えでは、過去において三つ組みを備えた子供達は多くいたのではと疑っている。 それは昔に遡れば遡るほど、交通は不便で貧困であったから、婚姻は同じ部落内で多く行われたであろうし、余程嫁入り道具がそろえる事のできる富農や大店でこそ遠隔地から嫁を取り、婿を迎える事ができただろうという訳だ。 当然、近親結婚は多くなり、その結果三つ組みを備えた子供達は数知れず居たはずだ。 そういう背景にこそ成功の秘訣が「運・鈍・根」という伝承に繋がったと考える。 運は全ての人に平等に巡ってきて、それを手にするか否かと言うだけの話だ。 鈍・根は雅に自閉症の特質を上げているように見える。 何をやっても一度では覚えられず、何回も根気良く覚える姿に自閉症者を重ねるのは私のみではあるまい。 詰り、現在の軽度発達障害者である高機能自閉症者やアスペルガー症候群の人達が成功者になったのではなかろうか。 そういう鈍・根の人達を暖かく見守る風土がこの国にあったと考える。 そういう暖かく見守る風土が失われつつある現代社会において孤独感を深めているコミュニケーションの苦手な人達が反乱を起したのが秋葉原であり八王子のような気がしてならない。 そういう子供を持った親の立場としては、世間はどんなに冷たくとも暖かい目で子供を見守って欲しいものだ。 最後の安全地帯は親を除いては期待できないと言っていいだろう。 そういう意味で疑いがあれば先ず診断を受け、覚悟を決めねばならない。 非常なようだが、疑いだけでは百害あって一利なしだ。 診断が下れば、子供達は自身で縁に沿って遅いけれども発達をし、俺ルールによって世間との折合をつける。 下手な療育であれば、縁に任せるのが一番かも知れない。 只、巧く発達してくれればアインシュタインでありビルゲイツだ。 正しい療育システムの構築が待たれる。 それには衆智の結集以外に手は無いのだが、我が我がと言いたいのが健常者で困ったものだ。 |
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障害児を持った保護者は何をしなければならないか
今日からいよいよ第2部に入り、障害者を持つ事になった保護者の問題を考察していきたい。 何の障害でもそうだが、お腹に赤ちゃんが居る時は「どんな子なんだろう」と希望に胸を膨らませている。 しかし、生れ落ちた時に盲や聾になった子供であった時に愕然とする。 「何で私だけが」という気持に苛まれるのは当然であろう。 大多数の赤ちゃんは健康で生れ、赤ちゃんが居る事で大変ではあるが笑いや喜びに包まれた家庭生活が約束される。 そうして、思いも掛けない様々なトラブルも起すが順調に育ち、やがて親離れを... ...続きを見る |
よく考えよう 2008/07/25 11:16 |
| 内 容 | ニックネーム/日時 |
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発達障害の子ども達は親次第だといえる部分はありますよね。 |
くすのきゆり 2008/07/25 21:03 |
くすのきゆりさんようこそ。 |
Hbar 2008/07/25 21:32 |
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