よく考えよう

アクセスカウンタ

zoom RSS 天保の飢饉に立向った二宮尊徳を見習おう

<<   作成日時 : 2008/10/15 15:14   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 2

戦前の教育を受けた方々は二宮金治郎が薪を背負って、本を読んでいる姿が懐かしかろうと思う。

今回の世界恐慌になろうかとする経済情勢の引き水は金融の仕業と言っても過言では無い。
額に汗をせずして、大金をせしめようと言うのだから言語道断だ。

金融はあくまで付加価値を付けるのに必要な血液だと知らねばならない。
それを主役の立場に踊り出て、利益を得ようとした所に今回からの教訓としなければならない。
これもそれも真の学びを忘れた所にそういう勘違いが生じたと考える。
真の学問は付加価値を創造する器としての自分を知る事にある。


現在、学校で教えている科目は実は学問ではない。
その証拠に高学歴氷河期と言われるように、折角大学院まで学び、博士号までとった挙句がフリーターという例を枚挙するのに事欠かない。
それは自分が何者かと言う事を学ばず、その狭い領域のみを教えて貰ったからに他ならない。
これが真に研究活動に入っていれば、少しはその活動から見える自身があるものだ。
教えてもらっている内は、まだまだなのだ。

真の自身を見付けておれば、結構色々と学んでいるはずなので真に自身を必要とする所と出逢え、自身を活かせるものだと考える。

途中に措いても、大学を卒業して何をすれば良いかを迷っている話も良く聞く。
それ以下だと、全く話にならず、自身が分らぬから人を殺す輩まで出てくる始末だ。


学ぶ本質はその人の気質を変える所に有る。
一芸に秀でた人はどことなく所謂科目としての教育は無くとも肝の座った所がある。
これが1番の間違いの元で、文科省が変らないとどうしようもない。

二宮尊徳は田植えの後、捨ててあった稲代を貰って、荒地に植えて1俵の米を作ったと言う。
父親が早くなくなり、父親の田圃は荒れ果てていた。
そこへ鋤を入れ、世話をして1俵の米に繋げた。

それから荒れ果てていた田圃を耕し、成果を上げて大百姓になり、天保の飢饉の時に人々を指導したという。
現在、大河ドラマ「篤姫」をやっているが、主人公天照院は自身を知り、己から見た相手を謀ったから面白いのだ。
教科等全く必要ないとは言わない。
読み書き算盤ができれば結構だと考える。
それよりも自身をどう捉えるかが学問の肝要であり、それがあっての気質を変えれるというものだ。


世界恐慌が来ようとも、対応できる自身を作らねばならない。
それには自身の分る学問をしなければならない。


これこそが最高の景気対策に他ならない。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
Habrさん〜こんばんは〜。
内の学生の子供にも読ませてみたい記事ですし、私自身もハッとしました。私のブログの開設目的には、私自身を奮い立たせることがあります。過去を反省し、新しい自分の創出です。そんな目的に参考になります記事でした。
二宮尊徳思想の、幕末、明治当初までの農村地域リーダー達に与えた影響に、私も注目してます。その時代の、官民問わずの農地振興プロジェクトにおいては、ことさらに二宮さんのエファットがベースにあったと考えてます。
さとし君
2008/10/15 22:28
さとし君今晩は。何時の時代でも気質を変える学びが必要なんです。物知り糞喰らえなんですが、物知りにもならないと言えないんですよ。
Hbar
2008/10/15 23:28

コメントする help

ニックネーム
本 文
天保の飢饉に立向った二宮尊徳を見習おう よく考えよう/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる